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横浜地方裁判所川崎支部民事部合議B係
平成16年(ワ)第247号 損害賠償請求事件
2006.7.20裁判
○ 内容 民族差別いじめ事件損害および名誉
毀損賠償請求。
公判名称 平成16年(ワ)第247号 損害賠償請求事件
横浜地方裁判所川崎支部民事
部合議B係
原告 于保田など (大学教員)
被告 佐藤直基、佐藤智子、森田和夫、森田昌子。
○ 抽選の有無の照会は 横浜地方裁判所川崎支部
電話044-233-8171まで。
よろしくお願いします。
T 事件のあらまし
「教育委員会の調査の結果、本件は、民族差別を背景に,平成12年4月よりほぼ1年間にわたって、中国人の父親と日本人の母親をもつ女子児童(当時3年生)に対して行われた暴力及び侮辱を中心とする、全市的に見ても稀な、きわめて悪質ないじめであり、川崎市立南菅小学校及び学校を指導する立場にある教育委員会の責任は重大であると深く認識するものです。」
上記は2004年(平成16年)1月19日、川崎市教育委員会教育長河野和子氏より、川崎市立南菅小学校長宛に発信された「民族差別にかかわるいじめ事件に対する認識と今後の学校の在り方等について(通知)」の一節である。
加害者の一人は同学年の男子児童で、1、2年生の頃から被害児童を「中国人」とはやし立てたりすることがあった。3年生になって、被害児童はその男子児童
と同じクラスになり、その男子児童を中心に、クラスに男子3人、女子3人のいじめ集団が形成され、担任の前でも公然といじめが行なわれた。5月
頃から、毎日のようにいじめられ、「のろま」「うんこ」と呼ばれたり、近くに寄ると鼻を手で押さえて「臭い」という身振りをされたりするようになった。ま
た、いじめの中心となったA少年からは、頭を叩く、足を蹴る、髪を引っ張るなどの暴力行為が繰り返され、被害児童が授業中に発言すると「ヤジ」をとばされ
たり、「お前はみんなから嫌われている」と脅かされたりした。
「私
に中国人の血が流れていることは、そんなにいけないことなのか。私は汚い人間なのか。」と、当時8歳の被害児童は苦しんだ。被害児童はいじめを受けた1年
間、身長が伸びていない。被害児童はこの時の恐怖から心身に変調をきたし、一時期は幼児がえりなどの感覚障害も発症し、医師からPTSD(心的外傷後スト
レス障害)と診断され、毎晩薬を飲まなければ安心して眠れないという状態が現在も続いている。
精神的な打撃を
受けたのは被害児童だけでなく、その家族の生活にも甚大な影響を与えた。大学教授の父親は、ストレスから声が出なくなり、咽喉に異物感を感じるようになっ
た。母親は料理が手につかず、被害児童の兄弟は食べ物を受け付けなくなり、入院をした。父親はついには娘、そして家族全員のために転居を決意した。その
後、被告らとともに激しく川崎市教育委員会の事実調査を拒否、妨害した人物でさえも、被害者の父親の衰弱状態について、やむなく『陳述書』で証言している
現在、被害児童保護者は、A少年、A少女の保護者に対して損害賠償を求める訴訟を起こしているが、加害者側はいじめ行為を全く認めておらず、南菅小学校近
辺では「被害児童は問題児だからいじめられた」、「被害児童の父親は暴力をふるう」、「下の子供もいじめを受けた」、「いじめの事実はなく、単にお金目当
てにさわいでいる」などの根拠のない噂が流布し、横浜の転居先や職場にも執拗な無言、または中傷電話が繰り返しかかってくる。陰湿な行為・匿名による被害
者への抗議行動の仕方は、事件当時と同様、その人格によるもので、飽きることなく行われている。
U 事件の背景
この事件の異常な点は、いじめが、A少女による陰湿仲間はずれ、加害行為を除き、教員の目の届くところでも堂々と行われていたことである。いじめが始まっ
た2000年春の時点で、担任は被害児童が同級生にからかわれていることにすでに気付いていたが、単なる「ふざけ合い」、「けんか」として放置した。加害
児童に対してはその場その場で注意するに止まり、あえて実態より目を背け、被害児童が体の不調を訴えても「またぁ?」、「じゃあ、保健室に行けばぁ?」と
冷淡な態度を取り、それがいじめをさらに助長させた。
教員の怠慢に対して、被害児童の両親から強い申し入れによって、12月に学年懇談会が開催され、いじめについての話し合いがもたれたが、加害児童
⇒A少女の保護者⇒母親が「被害者の側に問題があったのではないか」、「被害児童は母親の前と母親のいない所では態度が違う」等の根
拠のない発言での攪乱があり、学校側も指導監督上の責任を明らかにすることを回避する口実として、この発言を利用した。
また、学校がいじめを認識した後も、教職員間で情報が正確に伝えられていなかったことと、加害児童の保護者に対して、指導上必要な情報が伝えられていな
かった。さらに組織的にこの問題に取り組むことをせず、いじめが長期に渡った。冒頭に掲げた教育委員会の南菅小学校長宛て通知には、次のように記されてい
る。
「本
来、学校はすべての児童にとって、のびのびと健やかに、楽しく安心して生活できる場でなければならないものです。しかしながら、当時の学級担任及び学校関
係者の対応はまことに不適切であり、被害児童への精神的なケアもなく、また、関係児童に対する指導もされないまま、いじめが長期にわたって繰り返され、そ
の結果、被害児童は心身に異常をきたし、不登校に陥り、転校までも余儀なくされる状況に至ったことは、弁明の余地すらない事実であります。」
V 教育委員会による真相究明
2001年5月に、南菅小学校校長は、教育委員会にいじめを報告し、教育委員会が学校の責任を明らかにするために事件の調査に乗り出した。
調査は被害児童と同じクラスの児童、教員からの聞き取り調査を中心に行われ、被害児童の証言の裏づけをとるため、クラスの他の児童への聞き取りに関して協
力が要請された。しかし、加害児童の保護者は「被害児童も傷ついているかもしれないが、残された子供たちも十分傷ついていると思う。追い討ちをかけるよう
だ。」と猛反対し、教育委員会と子供たちを隔離しようとし、それに同調する教員もいた。教育委員会の事件調査チームは、困難に直面しながらも、粘り強く調
査を続け、当時のクラスメートなど複数の事件現場の目撃者からの証言を取り、さらにいじめの様子について詳細に書かれた日記が提出され、再調査、再々調査
を重ね、ようやく信じ難い残忍ないじめ事件の全容が明らかにされたのである。
この事件の調査は2001年に開始されたが、南菅小の当時の一部教員と加害児童保護者による上記のごとき妨害があり、長い時間を経て、2002年9月にようやく完成した。
これを受けて、川崎市教育長は1月19日に南菅小校長宛に調査の結果と教育委員会の見解を送り、28日に記者会見を開き謝罪を行った。そして3月11日、
事件の関係教員に対して処分が下されたが、当時の担任は既に民間企業に転職しており、教育委員会の処分を免れたことはなんとも皮肉なことである。
W 裁判の経緯
加害児童の保護者は被害児童に重い障害を与えたにも関わらず、転校後も誹謗中傷や調査妨害を続け、学校や教育委員会が被害児童及び家族に謝罪をしたもの
の、加害児童とその保護者は頑なに謝罪することを拒否した。そこで、被害児童の保護者が加害児童2名のそれぞれ保護者を相手取り、民事訴訟に踏み切った。
訴訟開始に当たっての記者会見で、両親と代理人の弁護士は「いじめは加害者側の問題であり、保護者も責任を免れないことと、いじめが正当化されることはあ
りえないことを明確にする」という内容の声明文を発表し、会見において父親は「市教委も教師も謝罪したのに、加害者の児童、親は謝ろうとしない。信じられ
ないことであり、現段階では許すつもりはない。苦しんでいる娘のために早く解決したい」と話し、母親は「(いじめの底流にある)民族差別行為を社会に訴え
ることが、日本人としての筋だと思う」と述べた。
原告が求めるのは、司法、そして社会の良心によって、この「いじめ」問題の真相を究明し、児童による「いじめ」はその加害が未だ事理弁識能力を欠く児童ら
によってなされた場合にはその保護者においても責任を免れないこと、さらには、いかなる理由があろうとも「いじめ」が正当化されることは絶対にあり得ない
ことを明確にすることである。
加害児童の保護者は、今もっていじめに関する事実を隠蔽・歪曲しようとしており、市教育委員会の調査について「原告の一方的な主張に基づくもので調査とは
言えない」と批判、PTSDの事実といじめとの因果関係についても否認し、診断書などの提出を求めた。被告らの主張は、基本的にはいじめの事実(暴言・暴
行の事実)自体を否定するものである。しかし、他方では、「いじめられる側に問題がある」旨の主張を本件訴訟の段階に至ってもなお続けるほか、再三「和解
した」ことを強調し、さらには同級生の母親からの情報や担任と確認を取りながら注意深く対応していた旨を主張するなど、いじめの事実を否定する基本的態度
と矛盾する証言も平行している。その支離滅裂な態度は、いたずらに裁判を長引かせ、すでにさんざん傷つけられてきた被害児童とその家族にさらなる苦痛を与
え続けている。
2006年に入ってからも、被害児童の父親である原告の勤務先へ、「ひどい国民性だ」、「○○大学がこのような人を雇っているのはおかしい」などの匿名の中傷電話がかかってきている。
しかし、一方では、裁判の開始より、被害児童と家族を支える会が発足し、120名以上が登録し、原告を支援している。また、最近は、同じようにいじめに苦
しむ児童とその家族たちが、正面からこの問題に立ち向かおうとしている原告の姿勢に大きな共感を寄せ、原告のもとを訪れるようにもなってきた。
魂の尊厳を問う裁判の成り行きを、多くの人が見守っている。
2006.7.20裁判
○ 内容 民族差別いじめ事件損害および名誉
毀損賠償請求。
公判名称 平成16年(ワ)第247号 損害賠償請求事件
横浜地方裁判所川崎支部民事
部合議B係
原告 于保田など
被告 佐藤直基、佐藤智子、森田和夫、森田昌子。
○ 抽選の有無の照会は 横浜地方裁判所川崎支部
電話044-233-8171まで。
よろしくお願いします。
THE U HODEN CASE
HEISEI 16 (WA) DAI 247-GO SONGAI BAISHOU SEIKYUU JIKEN
YOKOHAMA DISTRICT COURT KAWASAKI BRANCH, CIVIL COURT B
SEEKING DAMAGES FOR POST-TRAUMATIC STRESS DISORDER
Writeup based on Japanese original dated July 20, 2006, available at www.debito.org/kawasakiminzokusabetsu.htm
Translation by Arudou Debito (debito@debito.org, www.debito.org)
COURT CASE: HEISEI 16 (2004) (WA) DAI 247-GO SONGAI BAISHOU SEIKYUU JIKEN
PLAINTIFF: U HODEN et.al (University Professor)
DEFENDANTS: SATOU Naoki, SATOU Tomoko, MORITA Masako.
COURT: YOKOHAMA DISTRICT COURT KAWASAKI BRANCH, CIVIL COURT B, reachable at Ph: 044-233-8171
I THE GIST OF THE CASE
“The results of the Board of
Education Survey are as follows: For approximately one year starting
from April 2000, a third-grade female student, who has a Chinese father
and a Japanese mother, was the victim of bullying of both a violent and
insulting nature, grounded in ethnic discrimination (minzoku sabetsu).
We recognize that this bullying, even taking into account all other
cases in our district (zenshi teki ni mite mo), is rare and extremely
malicious example. We are deeply aware of how great the responsibility
of the school board has to show guidance both in the case of schools in
their district in general, and the Kawasaki City Minamisuge Primary
School in specific.”
The above is a paragraph from
“RE Bullying Connected to Ethnic Discrimination: Statement of
awareness and what schools should do from now on”, which was
announced by Kouno Kazuko, Director of the Kawasaki City Board of
Education, and directed at the principal of Kawasaki City Minamisuge
Primary School.
One of the perpetrators was a male
classmate of the Plaintiff’s daughter, who began taunting the
victim in first and second grade with calls of “Chinky”
(chuugokujin, or “Chinese”). In third grade, this boy was
put in her class, and led a gang of three boy and three girl classmates
to taunt her. They carried out this bullying in the open, in front of
the teacher. From around May 2000, on a daily basis they began calling
her “dimwit” (noroma) and “shithead” (unko),
and held their noses whenever they came close to call her
“stinky” (kusai). Moreover, the ringleader of this bullying
gang (”A-kun”) began to inflict repeated violence, such as
hitting her head, kicking her legs, and pulling on her hair. Even in
class, when the victim stood up to answer a question, A-kun would
heckle her, and terrorize her with public comments like “Everyone
in this class hates an asshole like you!” (omae wa minna kara
kirawarete iru).
Thus from the tender age of eight,
Plaintiff’s daughter was plagued with thoughts such as,
“Does the Chinese blood I have flowing inside of me make me such
a bad person? Am I a sullied person (kitanai ningen) because of
it?” During the first year of bullying, the victim’s body
stopped growing and developing. Her health deteriorated from the fear
she felt, and she regressed mentally back to an infantile state and
became isolated and withdrawn (kankaku shougai). A doctor diagnosed her
with Post-Traumatic Stress Disorder (PTSD), and prescribed her with
daily tranquilizers to help her sleep, which she still takes to this
day.
The bullying and mental duress the
victim received did not affect her alone–it affected her family
as well profoundly. Her father, a university professor, felt from all
the stress as if something was lodged in his throat, and became unable
to speak properly. Her mother was unable to keep her mind on her
cooking, and her siblings were unable to get a good meal for so long
that they ended up receiving medical treatment. Eventually the father
decided to move his family away. Afterwards, however, Defendants
steadfastly refused to cooperate with Kawasaki City Board of Education
investigations to confirm the facts of the case, even though the
Defendants confirmed for the record (see Affidavit) that their
son’s bullying drove the father to distraction.
The parents of the victim have since
brought suit against the parents of A-kun and also against the parents
of a female classmate, “A-chan”. However, they have never
acknowledged the existence of bullying. Also, rumors have been flying
around the school that the victim was a problem child and thus deserved
the bullying, that the victim’s father is violent, that her
siblings also got bullied [and thus she hasn’t been singled out],
and that the victim’s family is doing this for money. Plaintiffs
also suffered from phone call harassment at the workplace and the new
Yokohama apartment. This kind of malicious and anonymous protest
towards the victims has continued to this day without letup.
II THE BACKGROUND TO THE ISSUE
What makes this case particularly
egregious is not only the malicious nature of the ostracization by
A-chan, nor the behavior of the bullies, but rather the fact that this
happened repeatedly in front of the teacher. When the bullying began in
the spring of 2000, the teacher was aware that bullying was going on,
but just passed it off as “playfulness” (fuzake ai) or
“a snit” (kenka). Whenever the bullying happened, the
teacher either just told them to knock it off, or worse yet, turned a
blind eye. When the victim told the teacher that she was feeling
unwell, the teacher halfheartedly said, “What, again?”
“Okay, go to the nurse’s office,” and thus further
encouraged the abuse.
The parents of the victims filed
complaints about the teacher’s negligence, and in December the
issue was talked about in a school meeting. However, the mother of
A-chan said “Doesn’t the problem somehow lie with your
daughter, not mine?” This statement had no basis in fact, and
just confused things further. The school’s administrators used
this argument as justification for avoiding further responsibility.
Even after the school administration
said it was aware of the bullying, it did not officially inform their
schoolteachers about what was going on, nor did they caution the
parents of the bullies what they should do about it. Because of this
delay in formally dealing with it, the abuse continued. The Board of
Education’s notice to the principal of Minamisuge Primary School
opened with the following:
“A school must be a place
where all children can have a relaxing, healthy, fun, and secure
lifestyle. However, this time, the school’s teachers and staff
did not take appropriate measures, and did not take care of the mental
state of the victim. Also, the fact that the school did not caution the
children in question made the bullying lengthy and repeated. As a
result, the victim’s mental state deteriorated to the point where
she could not come to school, and the parents had to move out of the
school district. There is no possible way to explain away these facts
of the case.”
III INVESTIGATION INTO THE CIRCUMSTANCES BY THE BOARD OF EDUCATION
In May 2001, the principal of
Minamisuge Primary School reported the bullying to the Board of
Education, and the BOE launched an investigation into who was
responsible.
The investigation centered on the
victim’s classmates, questioning the faculty, and asking for the
cooperation of other classmates to back up the victim’s
testimony. However, the parents of the bullies vigorously objected,
saying, “The victim may have suffered, but so have the children
around her. This investigation will only reopen old wounds.” They
tried to drive a wedge between the BOE and the children, with some
teachers’ support. However, the BOE’s investigators faced
up to the difficulties, continued their investigations tenaciously, and
managed to get testimony from classmates who witnessed several cases of
bullying. They also managed to get written diaries about the events
from the bullies, which led to reinvestigation and the eventual outing
of all of the facts of this cruel, unbelievable case.
The investigation was launched in
2001, but thanks to the obstruction of schoolteachers and parents to
the bullies’ diaries, it was not until September 2002 before it
was concluded.
On January 19, 2003, the Director of
the Kawasaki City BOE sent the results of the investigation to the
Minamisuge Primary School principal and the BOE. On January 28, the
Director apologized in a press conference. On March 11, the BOE issued
a punishment (shobun) to the teacher involved, but ironically he had by
now already quit the school and moved on to a private-sector job.
IV STEPS TO A LAWSUIT
Even though the bullies’
parents caused great harm to the victim, and even after the victim had
changed schools, the vicious rumors and the obstruction to
investigations continued. Although the school and the BOE apologized to
the victim and her family, the bullies and their parents steadfastly
refused to. This is why we took the step of launching a Civil Court
lawsuit against two of the families.
At the press conference announcing
the start of our lawsuit, the lawyers of the parents said,
“Bullying is a problem lying with the bullies, and something they
should not evade responsibility for. We will make it clear that there
is no possible way to justify bullying.” The father of the victim
added his opinion: “The head of the BOE and the school
apologized, but not the bullies or their parents. This is unbelievable
and not something I will just forgive and forget. I want a fast
resolution to this situation for my daughter who suffered so
much.” The mother: “The ethnic discrimination (which is the
undercurrent of this bullying) is something I as a Japanese wish to
appeal to society.”
What the Plaintiffs want out of this
is: A society and a legal system which conscientiously tries to root
out the causes of bullying. A society where parents who will not teach
their children right from wrong are made to take responsibility and
stop their children bullying. A society where bullying is justifiable
under no circumstances.
Parents of the bullying children are
still trying to twist and cover up the facts of this case, and claim
that the BOE’s investigation represents only one side of the
story–the Plaintiffs’. They also refuse to believe that the
victim’s PTSD has anything to do with bullying, and have demanded
the Plaintiffs make public her medical records. Defendants even deny
the very existence of violence or verbal harassment. They claim in
court that the problem lies with the bullied victim. But there is a
contradiction between those classmates’ parents who claim that
the teacher did enough to stop this bullying, and those who say the
bullying did not exist at all. These divisions are causing the court
case to be drawn out, and the victim and her family to face even more
social opprobrium.
It is now 2006, and the phone calls
still keep coming in. Plaintiff’s place of employment receives
anonymous calls saying “Fire that guy.” “He has the
evil character of an foreign country.” (hidoi kokuminsei da).
However, on the other hand, after we
filed suit, we now have a support group with 120 names listed. Also,
our standing up for ourselves has helped others do the same, and we
meet with other bullied families to share our grief and solidarity.
This case, which seeks to protect the dignity of the human spirit, is
being widely watched.
PLAINTIFF U HODEN et al.
yuxinghong@msn.com
ENDS