「日米高校比較」
デビット アルドウインクル 著
皆様、よくお越しになりまて、誠にありがとうございます。私は北海道情報大学のアルドウインクル デビッドと申します。宜しくお願いします。厚別高校さんにこの講演を依頼され、非常に光栄だと感じております。特に驚いたのは、若くて経験浅い私に頼むことでしたが、出来るだけ皆様に面白い課題と有意義な思考を申し上げたいと思います。
この講演の焦点は日米それぞれの社会に基づいている価値観であります。即ち、どんな物事、考え、行為がそれぞれの社会に重視されているのか。特に、アメリカと日本の学生の文化、気質等が同じか、もしくは違うのか。このことについてきょう話させていただきたいと思います。
始める前、お願いが一つあります。私は日本語をしゃべっているアメリカ人なので、この言語は僕の母国語ではありません。「だって、ペラペラだよ」と思って下さっても、間違いだらけだと思います。一番大事な時にも僕は間違える事があって、僕の言いたいポイントが不明になる可能性があります。ですから、その様な時にはただちに手を上げて「すみません、言っている意味が分かりませんでした」と言って下されば助かります。これは普通の講演のやり方ではないと思います、しかし、これは普通の講演でもありません。、もし、分からない事や、理解出来ない事があった時、最後まで待って、「1時間前に言った事が理解出来ませんでした」と言われるより、その直後の方がいいと思います。ご協力をお願い申し上げます。
さて、講演の構造ですが、 先ず、アメリカ人としての私の背景、特に学校時代について申します。 次に私自信の日米での講師経験を説明します。 最後に接触した日米学生に対する感想を申します。
僕は昭和40年カリフォルニア州生れ。昭和45年、ニューヨーク州にあるジニーヴァ市という所に引っ越ししました。たいてい、「どこから来ましたか」と聞かれると、「ニューヨーク州」と答えます。すると、すぐに「ああ、マンハッタンに近いですか」と言われます。しかし、Geneva市はアメリカの経済中心の「ニューヨーク市」からは程遠い所です。人口は16、000人に過ぎず、岩見沢に近く三笠市より小さい市 であります。そして、NYCから約 5 O O km 離れています。室蘭と稚内ぐらいです。しかも、Geneva市は不況です。私の故郷は土田舎で、仕事がない為、有望な若者は殆ど出て都会に行く様です。これはちょっと珍しい故郷だと思います。
それから、私の教育に進みます。私は小学校から高校まで12年間ニューヨーク州の公立学校に入りましたが、またそれらの経験は特別でした。ニューヨーク州の公立学校制度はBoard of Regents (Regents 教育委員会)があり、役割は他の州より高校レベルでは上位に立つ教育を補うことです。Regentsは毎年、必修の授業を全州の高校に同じ難しい最終試験を発行し、合格者に特別な高校卒業証書 (Regents' Diploma) を与えます。CAと NY州だけこの制度を実施していますので、私はアメリカ全国の高校の平均的な様子が分からないかもしれません。
しかも、小さいGeneva市では、珍しく小中高校制度は二つありました。 前に言った「いちりつ」(市立)公立学校と、「わたくしりつ」(私立)がありました。幼稚園から高校卒業まで自費の学校があり、一般的な教育と共にイエス キリストの教義を勉強しました。公立学校で教会の教義はアメリカで不法な行為なので、Genevaのカトリック教崇拝者はよく「わたくしりつ」の学校に入学させました。制服もあったし、厳しい学則もあったし、我々いちりつの生徒達は「変なと奴らなあ」とよく思いました。
さらに、小さいGeneva市ですが、いちりつの学校は学区が二つあります。中高校は全市、同じですが、小学校は二つに分けられて、私の学区は町の貧しい地区も入りました。色々な人種と一緒に授業を受けました:お金持ちのプロテスタント教の白人、昔の工場労働者の子孫、即ち、黒人、ヒスパニック系、イタリア系、中東系など。居なかったのはユダイヤ人、アジア人、英語が母国語ではない人。この人種の多数は小さな田舎町より大きい都会にいます。これが私の故郷です。
ところで、もし、なぜ日本について興味を持ってきたかとの質問をなさりたければ、喜んでお受けします。どうぞ発言の後質疑応答(おうとう)にお願いします。
さて、この所で強調したい事が1つあります。それが、自分の背景は田園(でんえん)にあります。普通のアメリカ人や日本人の高校生といい比較にならないかもしれません。ご了承下さい。
では、次の話題に進みます。学生としての立場から、私の先生の経験を簡単に述べます。今まで係わった学生は:
1)アメリカのボーイ スカウト。学生は12才から18まで。数年間スカウテイング技量を教えました。
2)アメリカの大学生。合計2年間、私は大学院生であった時、政治学や論文の書き方や人類学を非常勤Teaching Assistantとして教えました。
3)日本の小中高学生、1年間札幌にあるIAY英会話学校で英語を教えました。
4)一般的な日本人主婦、商人、その他の職業のある方々に合計6年間位又英会話。
5)日本の大学生に2年間、ビジネス英語と討論の仕方。
それぞれの学生とその気質に触れた光栄がありました。但し、高校に勤めた経験がないので、高校生と教えた事については、、こちらの高校の先生方に負けます。でも、いい意見を出す事が出来る様に頑張ります。
さて、学生の比較を述べさせていただく事にします。初めは、文化と国民性に関係のない学生の共通点にしたいと思います。それは勉強の習慣であります。
日本の学生、しかもアジアの学生は世界中で勉強家で有名です。特に、数学が弱いアメリカ人対算盤で訓練された暗算が出来る日本人は対照的です。一般的に日本の高校生はアメリカより勉強するのに時間を費やす(ついやす)事を認めます。日本でよく儲かる商売は塾と家庭教師だという証拠になります。
アメリカと日本の高校は共に4年間です。でも、この4年間の動きははるかに違います。
日米の17歳の若者の活動を比べましょう。日本では、高校3と4年生は試験地獄に入り、浪人にならないように一生懸命勉強するという話です。僕の目で見れば、高校の姿はいつも緊張しているの様です。
しかし、アメリカでは、高校4年はSenior Yearと呼ばれ、いわゆる「学生ざかり」の時期です。アメリカの試験地獄は高校3年にありますので、3年の末4年の初め頃、大学に申し込んで、入学試験を行います。ただ、入学試験の制度は日本のと違って、それぞれの大学まで受験しに行かず、高校でアメリカ全国同じ試験を受けます。それは「SAT」、 Scholastic Aptitude Testの略で、学力適性検査と言われます。得点数だけによって、一般の州立 いち立の大学に入学させます。エリートの大学の場合、いいSATの得点と共に決まった課題についての論文4ー5冊を要求します。Cornellの教養学部は面接まで求めました。
とにかく、僕の言いたいポイントはいくら学生が勉強家にしても、アメリカの4年生は試験を一回4時間やって一発に終わって、クリスマスまでに地獄が終わって、試験を長引きません。アメリカの学生はもっとフリーなので、社会に貢献する事や好きな事も出来ます。仕事、デート、ボランテイア活動も経験する事もよくするし、日本の学生より早く成人の様な事が出来ます。ですから、自分が大人との意識が17か18歳に感じる様となるので、勉強より「世の中の事を身につけなちゃ」と感じてきます。ですから、アメリカ人はあんまり勉強しなさそうに見えるかもしれません。
しかも、僕の故郷では、勉強家が結構嫌われていました。日本と違って、私の周りの人から「勉強をするんじゃないよ」というプレッシャーはよく掛けられました。例えば、bookworm (本の虫、シミ)brainiac(脳がよさすぎて パーだ、知識あり常識ない)、teacher's pet(先生のお気に入り、堤灯持ち)と呼ばれて、「成績がいいんだが友達がいない。我々の様に勉強を正常化しないと付合ってやらないぜ」という心細さに悩んだ時もありました。日本でもあるかもしらないが、僕の故郷で勉強する事を隠すまでする事は日本で見た事がありません。
なお、アメリカでは、若者の気を散らす事も日本よりたくさんあります。13才になると、もうteenagerになるので、「大人なんだから」という気持ちがあります。来学前、メークする中高生がいるし、高い色っぽいドレスも買うし、校内でもキスする恋人もいました。社会的にはteenagerが16才から、いわゆるSweet Sixteenの現象の波に乗って、人間的に花の様に性格が「咲く」期待があります。スクール ダンスもあるし、ボイフレンドかガールフレンドを両親に紹介する事は珍しくもないし、ソーシャフル スキルズを改善しようと思う事は常識だとみられていたのです。
さすがに、日本の若者は比較的にこの性格が咲く事が遅いと思います。もう少し待つって、高校でより大学でこれ位のソーシャフル スキルズを試してみる気がします。
ところが、大人らしさはいつも大人らしい責任感を伴う訳にはならないんです。体が大きくても心はまだ成熟していない学生は、自分の両親か友達同士をマネして、リスクがある活動も含まれています。例えば、タバコを吸ったりアルコールを飲んだりして、車を買ってデートをパーテイに誘う事。飲酒する事は満21才までに不法だが、運転免許はニューヨーク州では15才からもらえるので、アメリカンteenagerは早く親離れしてこっそりする事が出来ます。ですから、若人は色々な誘惑に関われます。
ですから、私が知っているアメリカでは、車のないデートした事もなく、セックスもした事もない本の虫の勉強家はすごく嫌なイメージでした。だが、僕は欲望を燃やした。「いいんだ。この故郷に帰らずにいい大学に入る為に」と考え、なおさら勉強しました。子供が出来て早結婚する事や、麻薬中毒になる事や、酔っ払い運転による死亡事項になる事より、本の虫と呼ばれる方がずっと マシ だと割り切りました。
ところで、大学の雰囲気になりますと、アメリカと日本は勉強の習慣が逆になると皆様はもうお分かりになっていると思います。私なりの経験では、日本の大学一年生は試験地獄もしくは浪人の苦労から解放され、4年生は授業に出席するより就職活動を重視し、挟まれている2年間は社交的な活動で主な時間を過ごします。大学際の時は特に、授業と宿題を気楽に犠牲にします。
私の経験では、この面で日米は両極端です。アメリカの大学では本当に勉強に対して真面目になります。試験の頃、そして大学院のプロジェクトがありすぎて切羽詰まる時、数ケ月も朝8時から深夜2、3、4時までも勉強しました。それに加えて、一番お金が少ない時、大学所属のバイト3つもかけもちしました。ちゃんと時間を合理的に用いて勉強しなかった人は身を持てませんでした。私が通った(かよった)Cornell大学での中途退学率は約15%とのことで、自殺率は我が国ではとっても有名です。中間試験と最終試験の時が近づくと、大学の公衆安全警察は校内の橋から飛び降り自殺しそうな所を見張らなければなりませんでした。
でも、高校より、大学、しかも大学院はアメリカの学生が賢くなる所だと感じます。考える能力、論文を書く能力、情勢を見て実情を判断する能力はCornellとSan Diegoで培われた(つちかわれた)という確信を持っています。
では、話を変わりましょう。日米高校生の生活は勉強ばかりではありません。クラブ活動もその一つです。
日米課外活動は主に同じだと思います。私の高校では演劇部、スポーツ大会用音楽バンド部、コーラス部、ラテン語 フランス語、スペイン語部、化学部等、そして様々なスポーツ クラブもありました。空手、柔道等のアジアの特殊(とくしゅ)なスポーツは一応なかったですが、クラブの役割は同じそうでした。やはり、ここで友達も作れるし、チームワークも把握出来るし、気分転換になる運動も行なえます。
でも、日米の課外活動に対する見方かすかに違うと思います。日本人はお互いの学歴について話せば、クラブに入っていたかどうかも話しに出るそうです。違う学校卒者でも、両方スキー部の会員だったら共通点が見つけられてー安心するそうです。就職活動する時に、履歴書にも参加したスポーツやクラブの情報を入れる場所もあります。
僕には、課外活動は気分転換にすぎませんでした。暇で、興味を持って、参加しました。将来性か履歴書にどんなスポーツがふさわしいのかは一回も考えた事がありませんでした。いい大学にはいる為に一応配慮しましたが、アメリカの業界はあんまり高校の活動について関心がありません。クラブ活動より、使用者は学校以外のボルンテイア活動やアルバイトにおけた経験を重視します。
「クラブ活動がつらくてもがんばらなくちゃ」と思っている日本人がいるそうです。ウチの妻によると、彼女のクラブでは一年生、二年生は先輩の靴を揃えたり(そろえたり)、お茶組したりしました。もし、大会に行ったら、後輩が違う学校の先輩と話していたら、先輩に怒られたようです。「ほら!おまえの先輩よりよその先輩と付き合うのかよ!」結局、後輩は先輩に達するんですが、僕のポイントはどうして懲らしめるボスが必要でしょうか。会員に残る為にこれ位耐え忍びする覚悟しているのは全く同感出来ません。アメリカだったら、年配独裁が現われたら、人は来なくなってクラブが潰れます。
まあ、僕は考え過ぎかもしれませんが、日本人は痩せ我慢する位クラブの会員の地位を重視している様です。アメリカでは、この様な後輩と先輩制度は強くない為、この価値観はアメリカにはそんなにないと思います。
でも、日本の高校のスポーツ活動の態度が食い違うと強く感じます。
私の高校では、アメフト、サッカー、テニス、競技、体操、野球、水泳、ラクロッス、クレンデスキー、とバレーボールもありました。周りの学校と試合して、我が校の名誉(めいよ)の為に勿論がんばりました。我が校のチームが準決勝までたどり着いたら、非常に光栄だと感じました。特に、アメリカン フットボールがGenevaいち立高校の得意でしたので、毎年8月、パレードと学校祭も開催されした。この祭はHomecomingと呼ばれ、4年生の一番ステキな女性と男性の選挙ありました。4年生が投票し、Homecoming Queen and Kingを選んで、その二人と2位二人をパレードのフロートの上に乗せて、Geneva中央を通って全市と全校が盛り上がりました。ですから、このファイト精神は日米にもあると思います。
ところが、日本のスポーツ選手と観客者の方が段違いに真面目だと感じます。毎年、テレビで高校野球大会を放送しますが、私は見れないんです。正直に言いますと、腹が立ちます。こういう風に見てしまうんです:
試合の初めに、選手が登場しますが、見ためだけでもぞうっとします。工藤しずかよりやせている高校生がひらめている旗を担って(になって)、坊主刈り(ぼうずがり)もあって、グラウンドに進軍します。申し訳ありませんが、上陸している兵隊にソックリです。チーム キャプテンが役人へナチのような敬礼(けいれい)をして、ゲームが始まります。一生懸命やりますが、試合が終わり、勝っても負けても必ず選手は泣いて、スタンドに座っている女性の応援団が泣き出したりして、お祈ったりすることもします。この選手は野球の為に勉強を犠牲にしている話を思い出して、ムカッとしてテレビを消します。
「なんだ、これは、いったい?」としか感じられません。
我が高校では、僕もスポーツ選手でしたが、そんなに真面目ではなかったんです。スポーツ季節のもので、秋にサッカー、冬に水泳、夏にテニスをやりました。体を運動して、ストレス解消をする為に参加しました。だが、日本のチームでやっていったら、なんとなくもっとストレスがたまる気がします。 私なりの目で見れば、日本のチーム活動が強い過ぎます。例えば、試合がなくても、野球部は一年中に会って練習しているそうです。だから、後輩と先輩の関係はずっと実施する事が出来、目上と目下の関係が正常に感じてくるかもしれません。アメリカでは季節が終わり違うスポーツとチームとメンバーになりますので、いろんな人と付き合え、もう少し気軽くに参加する様になると思います。
そして、日本では稽古と訓練を強調し、まるでスポーツを胆に銘じれば人生の謎が解けられる様に言われています。スポーツも仕事だとも聞いたことがあります。アメリカでは、もし仲間がこれぐらい真面目になったら、誰かが「Cool it! It's only a game.」(落ち着いて。ゲームに過ぎないよ)と必ず言いますので、いわゆる安全弁があります。冗談じゃないですが、アメリカで、チームの為になんでも犠牲にしてもいい糞真面目な奴は「カミカゼ」、即ち「特攻隊」、と呼ばれています。
今までチーム スポーツだけを言っていましたが、個人スポーツでもこのいわゆる「糞真面目」の傾向が当てはまると思います。日本のオリムピック選手が目立ちます。金メダルを得られなかったマラソン選手つぶらやが自殺し、スケーター伊藤みどりが転んだ時の写真は一こまずつまで乗っていました。まあ、その人は国の為にがんばっているからと分かりますが、国のでも学校の為でも周りの人の為だとは変わりません。自分のベストで気が済む訳ではないんです。アメリカ人は自分のベスト タイムでしたら、銀と同でも満足します。この他人の為の文化は学校で生ずる(しょうずる)と思います。
私は一才の娘がおります。日本公立学校にそれぞれの入学させる不安がありますが、一つ運動会です。小学校でも、まるで若い子が班に分けられ、グラウンドに進軍させます。愛娘を参加させたくないんです。又考えすぎだと妻が言っていますが、私は兵隊の様な訓練は少しでも青い少年にも影響されているとの気を抜けらません。この社会に染めてある人は気が付かない事だけだと思います。
さて、次のトッピクスに進みましょう。日米の授業中の文化。
私のクラスの中では、快適な雰囲気を作ろうとしています。というのは、学生がいつでも質問を聞いてもいいし、分からない事があれば言知らせてもいいし、課題にしているトピックスを意見をザックバランに言ってちょうだいとも願っています。アメリカと日本でもこのやり方を実行しましたが、やはり、学生の反応はかなり異なります。
皆様がお分かりになっている通りに、日本の学生ははアメリカのより静かだと私も思います。が、それは国民生というよりも、授業の話題にもよると言えますでしょう。
日本では、英語を教えているのです。学生がおとなしい理由は、外国語での質問が理解出来ない為、もしくは正解が分かっても英語で正しく表わす事が出来ない為かもしれません。アメリカでは、いつも政治学や社会学とかを教えましたので、この学科はもっと活発な話し合いを招くでしょう。学生の気質はやはり色々の要素によります。
しかし、この様の様子を省いてみても、潜在的にも気質の違いが見つけられます。日本人の学生は静かです。僕は日本語でも質問すれば、シーンとして隣の人と相談して、答えが出るまで1か3分も待たなければならない場合があります。即答は珍しい。これ位のポースはアメリカ人はしないとハッキリ言えます。どうしてかとこれから説明します。
日本人が単なるShyな人類と片付けたくない。人の行動には理由あると思います。日本の中高では授業中なら黙って質問を控えってちゃんと先生がおしゃっている情報を吸収するのは適当だそうです。ですから、数年この制度になじんで、いきなり先生が即答がいつも欲しいにはさすがに無理があると思います。
でも、アメリカ人はたいてい他人がいったら、いわゆる沈黙恐怖症があると思います。というのは、会話の中、言い方に気をつけて慎重に話そうより、前向きに割り切る話しが親しいと思われているでしょう。途中である人が長い間で静かになったら、他人はすぐ違う話題を出す傾向です。僕だけが感じる事ではなく、他の在日しているアメリカ人の友達は、「しーんとする日本人とは話しにくいんだよな。俺が何か変な事を言ってしまったのを恐れる。」とも言います。ですから、比較的に赤他人に向かって口火を切りにくい日本人は仏像であろかなと思います。
そして、なぜアメリカ人がそんなにうるさいというのは、ハッキリとは言えませんが、私の学校での経験は少しでも説明になるでしょう。小中校で先生に質問が聞かれたら、手を上げました。但し、学生はいつも正解を述べさせる事には行けないので、選んでもらう為によく騒ぎながら手をぱたぱたともしました。時々先生の顔にもぼつかった事もありました。だまって手を上げなさいと行った先生もいったんですが、たいてい活発に参加してもらたかったそうです。そして、初めに正解を出した学生は皆の前で誉めてもらって、静かな学生も「おまえ、なぜそんなに静かなのか」ともバカにされた様に聞かれた事がありました。ですから、間もなく、我々学生同士はBe Firstという気持ちが大事になってきました。
もちろん、高校にはいて、こんな「行列にもFirst in line」や「先生に皆の前で誉めてもらいたい」様な青くさい気持ちがなくなるんですが、潜在的に「静かは頭がよくない訳みたい」とのプレッシャーが残っていると思います。アメリカは即答を重んじます。特にいい学校ではいい学生の仲間にはいりました、おとなしさはまぬけ。大学のゼミはまるで相撲の土俵の雰囲気です。先生はちゃんと勉強しているのかを試す為にすぐ不意を打ちます。そして、学生は知識的にレスリングをする期待があります。殆ど先生に負けるに決まっているんですが、せめて「やれやれ」まで説得力のある意見を述べてつか合わなければ、皆に軽視されます。ですから、海外では、雄弁でThinks fast on his feet、すなわち「準備しておかなくても立ちぱなしで速く考えて議論する事」が出来る人が一番有望な学生です。これは教養部だけの雰囲気かもしれません。仮に数学や化学の授業ではこんな参加する程度はありえないですが、校内カフェテリアの昼飯の時でも、映画を見てから感想を言う時にも、意見を弁論する事が出来なければ「鈍い奴だな」と思われます。 ようするに、日本で尊敬しているおとなしくて無難の様な振る舞えはアメリカでは違います。アメリカではよく意見を表わさないと負けるケースが多いと思います。
まあ、実際的に日本の高校に勤めた事がありませんので、現在日本の教育での動きについては言えませんが、高校卒業した大学生に教えています。さすがによくボケーッとして1分か2分位返事を待つ事が多すぎて、僕は時計を見て「時間ないから速く答えてよ」ともイライラする事が何回もあります。すなおにI don't knowを言いません。でも、アメリカの学生ならとれためののスピーチをむりやり言います。正解がしらない反応は本当に逆です。
さて、もう充分話させていただきました。今まで申し上げた事が適当であったかどうか分かりませんが、よろしければ、皆様から質問をいただきたいと思います。この講演は3:30迄に終了する予定ですが、もし皆様から質問が沢山いただければ、少しでも延長出来る様です。宜しくお願いします。
どうもありがとうございました。
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