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ブログの皆様、これは「一人でも社会を変えられる」との証しとして載せます。問題点があれば、泣き寝入りをすべからず、国が好きなら声を挙げて改善すべきですね。有道 出人。
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ひと:ヌスレットさん 特殊浴場の名称からトルコ外させた
毎日新聞 2007年4月7日 0時05分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070407k0000m070152000c.html
街並みを埋める看板やネオンに目をやる。23年ぶりの東京・新宿は晴れやかだった。桜の花びらが舞う。「鳥になった気分ですよ。もう、うつむいて歩かなくていい」
81年、地震の研究でトルコから日本に留学して半年余り。夕暮れの新宿で母国の名前を見つけ、店に飛び込んだ。「ガイジンが来た」の声とともに数人の肌着姿の女性が現れた。この問題で母国と大好きな日本がぎくしゃくするのはたまらない。一緒に日本に滞在中の当時19歳の妻、ハディエさんをおもんばかり、一人胸に抱え込んだ。
ある日、妻と地下鉄で帰宅する途中、老いた女性が「どこから来ましたか」と妻に尋ねた。日本語に不慣れの妻は「(彼と)トルコへ行きます」と答えた。女性は動揺して顔を赤らめた。その様子に妻も戸惑った。腹を決めて「トルコ(風呂)」を説明した。
「『うそよ』と繰り返す妻は、帰国すると言いました。私は『死ぬまでにこの呼び方は必ずなくす』と約束しました」
84年夏に再来日。政治家やメディアに訴える一方で本物のハマム(トルコの風呂)を伝えて行脚した。反響は瞬く間に広がり、数カ月後、街から「トルコ」の名称が消えた。
帰国後、日本への感謝の気持ちがふくらんだ。92年、地元の大学に日本語学科の開設を働きかけた。自ら作った3冊の教本で巣立った若者は1500人を超える。「この歴史を知らない人も増えましたが、私の心からの恩返しは続いています」【高尾具成】
【略歴】Nusret Sancakli(ヌスレット・サンジャクリ)さん 地震研究家。モンテネグロで生まれ、6歳で母国トルコへ。手織りじゅうたん会社の顧問も務める。53歳。
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