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小樽温泉訴訟 小樽市を相手取る控訴
2003年9月4日 午前10:30〜午前11:15
第二口頭弁論 札幌高等裁判所にて
案内サイト
原告 有道 出人 著
「小樽市人種差別訴訟弁護団」援助
(注意:この訴訟は控訴二つに分けられました。背景はここです。このサイトは被告小樽市を相手取る控訴についてです。被告温泉「湯の花」が原告3人を相手取る控訴の案内サイトはここです。(原告カートハウス オラフ担当)
この案内サイトの目次:
9月4日 札幌高等裁判所で第二回口頭弁論報告(弁護士 東澤 靖 著)
第二口頭弁論に提出した陳述書(有道 出人 著)(ページダウン)
第二口頭弁論に提出した意見書(カートハウス オラフ 著)は(ページダウン)
上記の文書の英訳はここです。(ページダウン)
証拠書類(抜粋)
準備書面1
準備書面2
証拠説明書(目次とリンク)
意見書(棟居 快行 成城大学法学部教授 著)
9月4日 札幌高等裁判所で第2回期日開催
ー控訴人の有道さんが、理路整然と意見陳述ー
去る6月3日、札幌高等裁判所第3民事部で、小樽市人種差別訴訟の第1回期日が開催されました。この事件には、(1)有道出人さんの小樽市に対する控訴事件と、(2)湯ノ花の有道さんその他の1審原告に対する控訴事件とが、一緒に継続しています。
(1)の事件では、有道出人さんと、東澤靖弁護士、西村武彦弁護士、芝池俊輝弁護士が出席しました。小樽市側は、伊藤隆道弁護士が出席。
(2)の事件では、1審原告の一人であるオラフ・カートハウスさんと伊東秀子弁護士が出席し、湯ノ花側は、菰田尚正弁護士が出席。
(1)の事件で、私たち有道さんの代理人は、次のような訴訟活動をしました。
(証拠などの提出)
・準備書面(1)の提出ー小樽市の10年間にわたる人種差別の放置が、道内、道外の他の地域にどのような影響を与えたか。全国の地方自治体は、人権の擁護や人種差別防止のためにどのような条例を作っているか。
・準備書面(2)の提出ー今回、棟居快行教授(成城大学法学部・憲法)の意見書を提出しました。それに基づき、小樽市の保護義務と裁量権の問題について、控訴人の主張を追加しました。
・書証の提出ー甲第43ー1号証から第49ー2号証まで、大量の書証を提出しました。
・人証の申請ーすでにそれぞれ意見書を提出してある、オラフ・カートハウスさん、棟居快行教授、松本祥志教授(国際法)の3名の証人申請をしました。
(有道さんの意見陳述)
また、今回ようやく裁判に出席できた有道さんが、3名の裁判官に対し、約20分にわたって意見陳述をしました。有道さんは、あらかじめ準備した書面に基づき、なぜ控訴を決意したのか、第1審の判決の問題点は何か、国連は日本の人種差別に対しどういっているか、小樽市の何が間違っているのか、人種差別を放置することがどれだけ危険なことか、そして札幌高等裁判所に対し何を求めているのか、を理路整然と陳述しました。
カートハウスさんも、(2)の事件の被控訴人としてですが、短時間、意見陳述をしました。「湯ノ花」に一緒に入浴された息子さんが、その後、亡くなったこと、「湯ノ花」はその後も反省せずに控訴していることへの怒りを語りながら、1審判決が減額した損害賠償に対する附帯控訴を行う意思を明らかにしました。
小樽市側の伊藤隆道弁護士は、今回反論の書面は提出せず、次回まとめて反論するので、時間がほしいと述べました。
(2)の事件では、伊東秀子弁護士から、湯ノ花の控訴理由に対する反論の準備書面と書証が提出され、また、附帯控訴を行う意思が表明されました。
次回第3回期日は、11月6日午前10時30分となりました。
今回、裁判所は、有道さんの意見陳述をよく聞いてくれたと言う印象です。次回までに小樽市側から反論が出てくるので、それに対してもきちんと再反論を加えたいと考えています。
また、証人採用などをめぐって次回も裁判所との間での緊張は続くと思われますので、いっそうのご支援をお願いします。
以上
陳述書
有道 出人 著
2003年9月4日、札幌高等裁判所 第二回口頭弁論
私は当訴訟の原告の一人であり又、小樽市を相手取る当控訴においてただ一人の原告、有道 出人(あるどう でびと)と申します。高等裁判所において、私の時間をいただきました事を感謝致します。ありがとうございます。今までの争点、相違点などを改めて私なりにご説明する事が、この機会に応える事ではないかと思い、そのようにさせていただきます。
●まず、なぜ小樽市を相手取る控訴を起したか。
2002年11月11日に札幌地裁の下した判決は、法例として放置できなかったためです。判決文の内容を省略しますが、私が一番納得できない部分は25ページにあった文です。「人種差別撤廃条約
2条1項の(中略)(d)は、『締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため、各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。』と定めているが、この規定により、地方公共団体である被告小樽市が、公権力の一翼を担う機関として、国と同様に、人種差別を撤廃し終了させる義務を負うとしても、それは政治的責務にとどまり、個々の市民との間で、条例を制定することによって具体的な人種差別を禁止し終了させることが一義的に明確に義務づけられるものではないと解される。」
上記の文には矛盾が生じていると思います。札幌地裁は国連の条約の存在と有効性と、国のみではなく自治体までの差別撤廃の義務づけを認めている一方で、「具体的に義務づけられません」と同じ文章の中で表現しており、これは条約の方針と相反している事にはならないでしょうか。当条約では立法も含んで全ての適当な方法を取るべきだと明らかに載っています。小樽市では1993年から「外国人お断り」の看板があったのは明白な事実です。圏内で差別撤廃に至るまで効果的な政策がなかったので、法整備が必要な状況であると思います。しかしなぜ判決文で小樽では立法、かつ、条例が「必要である状況ではない」と判断されうるのかは説明されていません。
ひいては、判決文で「合理的な差別」にも言及されました。但し、当文章では「合理的な差別」の定義がなく、判例として不可欠な適用に関するディスカッションもありませんでした。「合理的差別」に関しては国連で日本の人権委員会の1998年11月最終見解(CCPR/C/79/Add.102
外務省のウェブサイトはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c2_001.html でご覧下さい)の中、こう述べました:
「 11.委員会は、客観的な基準を欠き、規約第26条に抵触する、『合理的な差別』の概念の曖昧さに懸念を有する。委員会は、この概念を擁護するため締約国により主張された議論は、第3回報告の検討の際に主張され、委員会が受け入れられないと判断したものと同様であることを認める。 」
なぜ札幌地方裁判所は国連でさえ数年前からも通じなかった論法を用いるのかは分かりません。
とうにもかくにも、『人種差別』は『合理的差別』の範疇になりえません。例えば、「目の見えない方は飛行機のパイロットになれない」が仮にいわゆる「合理的差別」と言えようとしても、「黒人の方は皮膚が黒いからパイロットになれない」とは違います。人種は仕事・能力・社会待遇の資格と関係ないはずです。
要は、札幌地方裁判所が人種差別撤廃の必要性について充分考えこなしたと感じられないのが事実です。しかも、判決文の「義務づけであるのに義務づけではない」論法は頓珍漢だと思います。これはわが国日本が批准した条約違反であると思うので、納得できませんでした。よって控訴しました。
●でも、それはあなただけの解釈でしょう。
いえ、国連も日本の司法官の判決を鑑みて、日本を批判しております。例えば、2001年3月20日付の人種差別の撤廃に関する委員会 第58会期 人種差別の撤廃に関する委員会の最終見解
(CERD/C/58/CRP. CERD/C/58/Misc.17/Rev.3 外務省のウェブページよりhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/saishu.html)では、こういう懸念を現しました。
「9.委員会は、憲法第98条が、締約国によって批准された条約が国内法の一部であると定めているにもかかわらず、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約の規定が、国の裁判所においてほとんど言及されていないことにつき、懸念をもって留意する。」
本判決文はせめて「言及」としましたが、「市は条約上責務がない」のような判決を下しました。無論、当判決文の解釈も同じように委員会に批判されると思います。わが国にとって恥ずかしいことだと思います。国際的にわが国の誠意と見解が問われます。
しかも、同じ最終見解のなか、
「10.委員会は、本条約に関連する締約国の法律の規定が、憲法第14条のみであることを懸念する。本条約が自動執行力を持っていないという事実を考慮すれば、委員会は、特に本条約第4条及び第5条に適合するような、人種差別を非合法化する特定の法律を制定することが必要であると信じる。」
司法官は立法府ではないと承知しております。ですから本裁判所では法整備を行えません。しかし、本裁判所では少なくとも「小樽市は法整備する責務がある」と声明することができます。日本国憲法と国際条約を守らせる権力があります。札幌高等裁判所が下す判決でこれを明確にしてほしいのです。
●しかし、小樽市は何を悪いことをしましたか。
小樽市は約10年前から、看板で掲げた「外国人お断り」などの客の排斥を放置していました。第8回口頭弁論(2002年4月15日)の尋問で小樽市の代表は「93年から看板があったのは知っていた」と認めました。小樽市は公然と「広報おたる」(No620、2000年4月号)で「外国人の利用を一律にお断りすることは、人種による差別である」、この差別が悪いことだと認めました。こうであってもかかわらず、小樽市は圏内でこの看板で示される差別を終了にさせる効果的な措置を採りませんでした。これがこの訴訟の不可避な事実であります。かえって、効果的なのは本訴訟です。被告Mアースキュアが看板を取りはずしたのは、私たちが起訴する意志を表面化したまさに当日でした。小樽市の管理・指導能力に疑問を感じざるをえません。
しかし疑問というよりも、小樽市が意図的にこの差別問題を放置し黙認したというのは過言ではないと思います。93年から99年までの小樽市は、クレームをつけた排斥された外国人客に「違う入浴施設へ行って下さい」との助言にしか過ぎませんでした。99年9月からマスコミでこの問題が表面化してから、社会の目が向いている数ヶ月間のみ小樽市は審議会みたいな定例会を開きました。が、外国人の出席を拒否しました。小樽市は市民に対し人権を意識高揚する公式フォーラムさえ開催せず、何回も開催するのは却下しました。小樽市は人権条例を可決せず、かえって条例案さえ作るのを却下しました。そして2000年1月に提出された人権陳情を定例会で『継続審査』に留まり、2003年に無効となり反差別意見書さえ作ろうとしませんでした。
実は、わが国日本では自治体レベルでは「人権条例」は珍しくありません。全国においては既に16府県742市町村でその人権条例が制定されています。しかし、北海道内では人権条例の例はございません。不法投棄を牽制するために条例があります。罰則や懲役も導入しました。なぜ人種差別の場合はゴミほど重視されないのですか。
小樽市は災いを転じて福と成し、つまり北海道内で率先すべき最適なところではなかったでしょうか。残念ながら、そういう道を選びませんでした。
●なぜ一般的にこの差別を放置できませんか。
小樽市の不作為によって、小樽市は道内の看板による差別の起点となりました。数年が経過して、他の入浴施設、他の業種、他の町まで小樽の事例を鑑みて、明らかになった「排斥看板を掲示しても罰に至らないので、違憲であっても違法行為ではない」という抜け道をもうけました。札幌すすきの、留萌市、紋別市、稚内市、根室市、有珠郡大滝村、青森県三沢市、秋田市、東京都新橋と荻窪、浜松市、名古屋市、那覇市でも、入浴施設、飲食店、ラーメン屋、理髪店、とスポーツ店も外国人お断りの方針を実行し始めました。そのうち、稚内の温泉「湯らん泉」と青森県三沢市のバー「グローブ」の支配人達は「小樽を参考にして看板を挙げた」と認めました。
すなわち、小樽市の責任は大変に重いのです。小樽市は差別の拡散の発端と言えるでしょう。このような社会問題を放置すると、悪化することが多いのです。歴史本を繙くと差別問題は決して例外ではありません。このため、この訴訟は非常に画期的です。
●なぜこの訴訟が画期的でしょうか。
この訴訟の結果は日本の将来の一つの糸口となります。既に日本では、日本政府に登録している外国人は200万人に迫り、わが国の人口のおよそ1・5%で史上最高で毎年増加しています。もし1年間有効以下のビザがある人(例えば、観光ビザ、文化ビザ、短期社員、発展途上国生まれの日本住民など)を含めば、人口率のおよそ5%に登ります。その人達は日本の店舗の顧客となり、日本の住民になって納税してわが国をサポートしています。しかし、客商売で入場が断られて日本人と同様に日本通貨を支払っても、同様の社会のサービスをもらえなければ、生活水準が顕著に下がるのに違いありません。「有色人種お断り、無色人種専用施設」などの分離制度はそれぞれの社会(例えばアメリカ合衆国、南アフリカ)での経済的・人道的の負担が重いと承知して廃止されました。よって人種差別撤廃条約を批准した国は全ての先進国込み165ヶ国です。人種差別撤廃は国際通念です。でも、日本はこの「ジャパニーズ・オンリー」分離制度は日本国内で存在してもいいのか、国または自治体は放置してもいいのか、この訴訟が決めるきっかけになるでしょう。
念のために強調しますが、人種差別は「外国人」のみ影響するわけではございません。厚生省の『人口動態統計』によると、近年の日本人の国際結婚はおよそ4万組までうなぎ上りで1999年から現在に至るまで約30%急増しました。その夫婦が日本に住み、子供を2人くらい出産すれば、毎年4万人の子供が生まれる事になり、10年間でおよそ40万に登ります。但し、その子供は外国人の統計では現れません。日本国籍がある日本人です。しかし、国籍があっても、「日本人離れした顔」ならば「外国人お断り」を実施する施設で引っ掛かります。被告Mアースキュアでも上記の外見のみで幼い日本人が断られました。このケースが全国的に多くなり、片方の親に似ているか似ていないかのみの選別は許されるのでしょうか。これはわが国日本にとって放置することができる現実でしょうか。私も含み、1965年から今までせっかく日本国籍を取得した約30万人にとって、「日本人離れの外見」だけで、「帰化」という事にさえ疑問・不安・怒り・悲しみを感じさせてもいいのでしょうか。税金をもらっても国民に人権を擁護しない自治体にとって責務がないと言うべきでしょうか。
この訴訟はこの人達の将来の明暗を決めます。どんな社会の待遇はいいのか、地方公共団体がどんな公権力を定めなければいけないのか。日本の不可避の国際化を抱えて、どんな将来や人権擁護をするのか、札幌高等裁判所はここで最も深刻な決定権を持っています。判決は日本在住の者数百万人を著しく影響します。
●さて、どうしてほしいですか。
簡潔に言うと、こういう人達を疎外する営業方針や看板を撤廃し、二度と今までの様な事が起きてはならない環境を確立させてほしいのです。そこに必要なルールやマナーを明確にし、それをお互いにしっかりと実施し守り共存すべきです。そのためにはルールとして立法の法制化が不可欠であり、本裁判所は「自治体にも法制化の義務がある」と声明しなければいけません。
7年間以上差別が放置された小樽市のケースを参考に、一つの教訓として言えるのは差別は放置してもなくならないという事です。かえって悪化し拡散します。もはや小樽市における差別は全国的に氷山の一角となりつつあります。今回の判決は差別撤廃への第一歩となるか、それとも従来の差別の黙認か、それくらい明らかな選択だと思います。
札幌高等裁判所の裁判官の皆様、わが国の憲法と国際条約を執行して、小樽市が責任を果たすよう、私は心からそれを切望する次第です。
以上
Olaf Karthaus
2003年8月25日
日本には、外国人、或いは、風貌から外国人と思われる者の来店やサービスの利用を禁ずる公共の場所が存在します。バーや居酒屋(札幌、秋田、三沢、紋別、沖縄)、商店(稚内、以前は静岡も)、理髪店(稚内)、銭湯や温泉(稚内、紋別、大滝村、小樽)などです。
ドイツ生まれ、ドイツ育ちの私にとっては、このような差別的な方針、そして、これに対する日本政府の対応は、全く信じ難いものです。このような公然たる差別が存在すること、更には、(稚内の)警察や、(小樽の)行政が、この事実を知りながら、放置していることを聞き、また、自分自身でも実際に経験したことは、私にとって、大きなショックでした。ドイツでは、1930年代に始まり、1945年に至るまで、「ユダヤ人からは、物を買うな」という看板が掲げられていました。また、米国では、1960年代まで、「白人専用」、「有色人種専用」という看板が、全国至る所に存在しました。南アフリカ共和国では、過去には、アパルトヘイト制度の下で、公然たる差別が存在しました。文明国であり、世界第2位の経済大国でもある日本で、一般市民に対して商品やサービスを提供する商店や会社が、差別的な看板を公然と掲げるという事態が、何故に起こり得るのでしょうか?
ドイツで、この看板に関する話をすると、そんな看板を出す店には、少なくとも、客は寄り付かないだろうと言います。誰も、そんな店には、行きたくないし、利用したくないだろうと言います。店先に、「ドイツ人専用」という看板が出ていたとしても、仮にそのような店が存在したとしてですが、店には、抗議が殺到し、大きなダメージを受けるでしょう。恐らく、店主名、或いは、その場所の管理者名が公開され、公の場で、厳しい批判を受けることになるでしょう。
これに関連する事例として、2003年3月に、ドイツ自由民主党(FDP)所属議員Juergen Moellemannは、反ユダヤ主義ビラ広告の印刷発注が原因で、已む無く議員を辞職しました。世論の圧力、党内の圧力が徐々に高まり、同氏は、最終的に辞任に追い込まれました。
勿論、ドイツにも、外国人との緊張関係や、人種憎悪による犯罪が存在します。数年前、ゾーリンゲンという町で、トルコ人一家の殺害という悲惨な事件が起きました。ネオナチ集団が、一家の住む家に放火し、女性や子供たちが焼死しました。非常に悲惨な出来事でしたが、これに対するドイツ国民の怒りの反応には、大いに勇気付けられました。人種憎悪による犯罪に抗議するデモ集会が、多数の町で開催され、何百万人という市民が、外国人と結束して、集会に参加しました。事件から10年近くが経った今でも、この事件は、人々の記憶に残っています。セミナーやデモ集会は、ドイツ国民が、残忍な過去の歴史から得た教訓の表れです。
ドイツ人は、少数民族や外国人に対する残虐行為を二度と繰り返すまいという、切なる願いと、確固たる信念を持っています。
私自身がドイツで受けた教育を振り返ると、多くの時間が、第三帝国や国家社会主義に関する授業に、費やされていました。12歳では、旧ドイツ帝国全土で、多数のユダヤ教シナゴーグ(礼拝堂)が焼き討ちに会い、壊れたガラスで町中が埋まった、1938年の「クリスタルナハト(水晶の夜)」について学びます。15歳では、社会学、倫理、歴史の授業で、最低半年以上に亘り、第三帝国とその終焉について学びます。また、ドイツに於けるヒトラー台頭の過程に関する説明に、多数の時間が費やされます。
ドイツの学校では、人権差別のないクラス編成に力を入れています。外国人住民の子供達は、ドイツの学校制度に完全に統合され、学校での生活や学習を、ドイツ人クラスメイトと共有します。このようにして、幼稚園という早期教育の段階から、子供達は、外国人、異質性、差別のない共存について、学習する機会を持ちます。
ドイツ法では、基本的人権を明確に規定しています。また、基本的人権の外国人に対する適用に関しても、極めて明確です。ドイツに居住する外国人は、ドイツ国民と同様の自由を享受し、ドイツ国民と同様に、ドイツ法による保護を受けます。
文明国家は、少数民族や外国人の安寧に、最大限に尽力すべきだというのが、私の確固たる主張です。学校教育、更には、成人を対象とした教育を通じて、外国人が直面している問題に関する認識を高めることが必要です。外国人を差別なくドイツ社会に統合することが、延いては、多種多様な人々の平和的な共存へと繋がります。
訴訟は、行政や警察が、差別に対して毅然たる態度で対処するにあたり、その基礎となる法律的な枠組みです。
「二度と戦争を繰り返さない、二度と人種差別を繰り返さない」が、第二次世界大戦後のドイツの新スローガンです。ドイツ社会は、この意味で、より健全な社会の実現に向けて、着実に前進しています。この成功のひとつの鍵は、問題の早期発見、早期対処です。「つぼみの内に摘み取る」ことが、問題の段階的拡大を阻止し、不法行為を防止する最善の方法です。出来る限り早い段階で、差別に対抗する法的措置を講じることで、これが、差別が原因で提訴される可能性があるという、強力なシグナルの発信となります。差別を放置することは、状況を悪化させる原因となります。一旦、差別がパターン化してしまうと、流れを元に戻すことは困難です。私達ドイツ人は、過去のナチスドイツ時代に、これを、身を以って経験しました。
小樽市は、10年近くもの間、差別阻止の対策を何ら講じず、状況を悪化させました。何故ならば、煩く咎め立てを受けることはないとの確信が、差別慣習の継続と拡大を助長する結果を招いたからです。外国人や、風貌から外国人と判断される人々が、差別という屈辱を受ける事態を回避するためには、断固たる法的措置が必要です。
日本は、ドイツの例に倣い、差別の芽を、初期の段階で摘み取っていく社会体制造りを、何故考えないのでしょうか?
ドイツは、過去の苦い経験から、教訓を得ました。問題には、初期段階で対処すること、然もなければ、事態はエスカレートし、収拾不能となってしまう可能性があるという教訓です。
以上
小樽温泉訴訟 小樽市を相手取る控訴
第二口頭弁論 札幌高等裁判所に提出した証拠書類(抜粋)
準備書面(1)
平成14年(ネ)第498号損害賠償控訴事件
準 備 書 面(1)
控訴人 有道出人
被控訴人 小樽市
2003(平成15)年9月4日
右控訴人訴訟代理人
弁 護 士 東澤 靖
弁 護 士 西村武彦
弁 護 士 芝池俊輝
弁 護 士 浅井 正
弁 護 士 伊藤和夫
弁 護 士 上柳敏郎
弁 護 士 大谷美紀子
弁 護 士 薦田伸夫
弁 護 士 佐藤博文
弁 護 士 田岡直博
弁 護 士 高崎 暢
弁 護 士 田中貴文
弁 護 士 出牛徹郎
弁 護 士 外山太士
弁 護 士 中西義徳
弁 護 士 中村順英
弁 護 士 西村正治
弁 護 士 丹羽雅雄
弁 護 士 野村和造
弁 護 士 羽柴 駿
弁 護 士 日隅一雄
弁 護 士 藤本美枝
弁 護 士 古本晴英
弁 護 士 水野英樹
弁 護 士 渡辺達生
札幌高等裁判所第3民事部 御中
本準備書面では,小樽市内にある湯の花が「Japanese Only」(日本人専用)という掲示をし,その掲示によって複数の入浴拒否が現実に発生し外国人の人権が侵害された事実を小樽市が知りながら漫然放置したことが発端で,道内などの他の地方都市でも日本人専用の看板が掲示され,外国人に対する入浴拒否,入店拒否という重大な人権侵害が行われた事実を明らかにするとともに,他方人種差別の問題性を理解した地方自治体の中には条例などを制定して外国人に対する差別を禁止するところも多数存在している事実を明らかにする。そして小樽市が外国人差別を禁止する条例を制定するための立法事実が存在していたにも関わらず,条例を制定しなかった不作為の違法性を明らかにする。
第1 小樽市が「Japanese Only」という差別表現・差別行為を放置したことで,そのような行為・表示が地方に波及した事実
1 平成4年12月の北海道新聞小樽版には,全国中学生人権作文コンテスト札幌大会で優秀賞を受賞した小樽市北山中学の女生徒の作文が紹介されていた。女生徒はロシア人に対する悪い噂だけでロシア人に対する偏見を持つことが問題であるということを指摘した。
90年代に入ってから小樽市に上陸するロシア人は年を追って増加し,小樽市内の商店などで買物をするロシア人観光客や,ロシア人バイヤー,ロシア人船員など多数のロシア人を見るようになった。それに呼応するかのように小樽市内ではロシア語を学習する動きが生じたが,その反面,ロシア人に対する悪い噂,ひどい誤解も蔓延する状態になっており,北山中学の女子生徒はそのような小樽市民の雰囲気に疑問を持ち,それを作文にしたものである。
2 港近くに開設された「オスパ」が「Japanese Only」(外国人お断り)という表示を店頭にしたのが平成5(1993)年である。開設は平成4年7月であるが,当時は外国人も利用できていた(乙ロ14)が,日本人から苦情が出たという理由で日本人専用という掲示をした。
3 このように,平成4年頃には,すでに小樽市内ではロシア人に対する噂,誤解,偏見が存在していた。そしてそのような偏見を助長するかのような「Japanese Only」という表示の下外国人の入浴を拒否する動きが表面化した。「オスパ」に続いて,「パノラマ」でも同様の日本人専用の表示がなされるに至った。
4 なお,平成10年3月13日の北海道新聞小樽版には「小樽とロシア人」という記事がある。その記事によれば,小樽市塩谷在住の畠山さんは港で知り合ったロシア人を自宅に招き,夕食の後銭湯に連れていくという内容であった。畠山さんが港から上陸する外国人と友好を交わすようになったのは80年代からであるから,銭湯などにいく外国人の多くは入浴のマナーを守って入浴していたのであり,ほとんどの外国人が入浴マナーを守る人であることが小樽市民の間では公知の事実だった。
従って,平成4年頃に市内に蔓延していた悪い噂,誤解というものが,日本の公衆浴場での入浴マナーを知らない極一部のロシア人船員の存在によって,更なる誤解と偏見を生み出し,「Japanese Only」という人種差別を助長し人種に対する更なる偏見を生み出す表記が掲げられたと見るべきであるが,問題はそのような人種差別と偏見を助長する表示や市内の動きに対し,被控訴人小樽市が放置に放置を重ねていたという事実である。「Japanese Only」という表記の放置が平成5年から少なくとも5年以上なされており、また小樽市内ではロシア人の一部に対する根深い偏見と誤解が存在していたこと,海外から多数の外国人客を観光に訪れる観光都市であることから,差別を助長する表記や言動などを是正する指針などを打ち出す義務が小樽市にあったことは明らかである。
5 ところで,湯の花が営業開始となる1年ほど前,札幌に住んで5年目という札幌で貿易会社を経営する訴外サイモンが,大滝村にある「かわせみ」という温泉に日帰り入浴をしようとした際,「以前外国人のお客様でトラブルを起こした方がいる」という理由で入浴を拒否されるということが発生した。そこで訴外サイモンは平成9年12月24日,大滝村村長と村議会に対し人種差別のない施設のリストの提供を求めるなどした。これに対し,平成10年2月17日,大滝村の舘林村長が非礼を詫びるなどした(甲49)。
この小さな村にある「かわせみ」での入浴拒否は「Japanese Only」という表示に基づかないものではあったが,道内の入浴施設で外国人を排除するという重大な人権侵害が発生していた事実を示すと共に,人権を侵害された外国人からの重大な指摘といえる。
6 平成10年7月12日,小樽市手宮に「小樽天然温泉 湯の花」がオープンした。湯の花は小樽の著名な観光地である国定公園の祝津海岸に向かう海岸道路ぞいにあり,観光施設である手宮地区の鉄道記念館,古代文字・鱗友市場といった観光地からも歩いて数分の個所に設置され,外国人を含む観光客の利用なども想定された場所に立地されていた。
ところが平成10年7月にオープンした湯の花は,その後玄関前に「Japanese Only」という掲示物を張り出した。この掲示物は明確な外国人差別の表記であるが,小樽市はその差別的な表記をした掲示物の掲示を放置した。そのため湯の花では入浴拒否が頻発したが,小樽市はそれに対しても適切な対応を行わずにきた。
小樽市内の朝里川温泉などにも多数の外国人が温泉を利用してきた歴史があるが,外国人はマナーを遵守していたことは小樽市の行政当局も知っていたところである。
このように外国人の多くがマナーを遵守する人々であることを小樽市は知っていながら,「Japanese Only」(日本人専用)という差別的表示の掲示行為を禁止し,外国人の入浴拒否を禁止する具体的な措置や指針を示す条例の制定をしなかった違法は明らかである。後述するように国内には多数の人種差別を禁止する条例が存在するのである。
7 一審で原告の一人であったカートハウスオラフが,友人とともに稚内にある「遊らん銭」という名称の温泉を訪問した際,「遊らん銭」の支配人は外国人は入浴できないと発言し,日本人のみの入浴を許可し,外国人の入浴を拒否した(甲48の3参照)。日本人の妻をもち長年日本で生活している訴外オラフが「入浴のルールを守ることはできます」と発言したにも関わらず,支配人は拒否の姿勢を崩さなかった。そして支配人は「小樽市でも入浴拒否はしているではないですか」と入浴拒否の根拠として「湯の花」の「Japanese Only」の掲示とそれに対する小樽市の姿勢をあげた。
このように,「Japanese Only」という湯の花の差別表記,そしてその差別表記と外国人への入浴拒否という行為に対し,小樽市が何らの有効な対策を採用することなく放置したことが,地方都市の民間業者をして差別的表記を掲げさせ,公然と外国人差別を行う理由としてあげられていった。
8 青森県三沢市は駐留米軍が存在する街で有名であるが,三沢市のスナックにも「Japanese Only」という掲示が掲げられるようになった(甲48の1,2)。その事実を聞いた控訴人が店の店長に何故そのような掲示をするのか質問したところ,「小樽でも行っているから許されると思った」と述べた。
9 一審で原告の一人であったオラフや控訴人の調査によれば,そのような日本人オンリーの掲示をしている銭湯,温泉は紋別,大滝村にも存在し,稚内の理髪店,秋田や紋別,そして沖縄のバー・居酒屋にも存在している。そしてそれらの店がそのような掲示をするようになったのは,湯の花の「Japanese Only」という掲示が行政当局から処罰されることなくそのまま放置されていたことにヒントを得たというものである。
10 このように小樽市は「日本人専用」という差別的表記が広がる起点になったのみではなく,外国人の入浴拒否・入店拒否という差別行為を是認する起点・シンボルにもなっている現実がある。この点に鑑みても,小樽市の責任を明らかである。
第2 外国人差別を禁止する条例の存在
1 ところで,外国人に対する差別を条例などで禁止している地方自治体はかなりの数に上っている。そのうちにいくつかを例に挙げ,小樽市の不作為を明確にする。
2 平成8年7月1日,草津市は草津市人権擁護に関する条例を制定した(甲43の2)。この条例は「日本国憲法,世界人権宣言を基本理念として,在日外国人等に対するあらゆる差別をなくし,市と市民および滞在者が協調して人権意識の高揚を図る」ことなどを制定趣旨としている。
その制定に先だって平成8年6月の定例議会で,草津市長は「今日まで市民憲章や『ゆたかな草津 人権と平和を守る都市』宣言等による取り組みを行ってきたにもかかわらず,部落差別をはじめ,障害者,女性,在日外国人等に対する人権侵害の事象が発生していることや,21世紀のキーワードは「人権」とも言われ,国の内外においても人権尊重の取り組みが始まっていることなどから,市民一人ひとりの不断の努力によって,一日も早くお互いの人権が擁護されるまちを築くためのものでございまして,本条例案が人権全般にわたる基本条例であると位置づけをいたしております。したがいまして,条例を制定することによりまして,市民等に対する啓発効果が今以上に高まり,人権尊重の社会的醸成に一層プラスになると考えています」と述べ条例制定の意義を述べている。
このように草津市は すでに市民憲章や『ゆたかな草津 人権と平和を守る都市』宣言等があるが,更なる人権擁護のため条例を制定した。
草津市に存在した事情は小樽にも同様に存在していた。すなわち,障害者問題,女性問題といった問題は存在しているし,外国人に対する入浴拒否は平成5年からあること,平成4年12月の新聞記事にあるとおり市内ではロシア人に対する偏見が生まれていたこと,そして外国人差別の公然化が湯の花の差別表示の後地方都市にまで波及していったことからすれば,小樽市は草津市のような条例の制定は必須であったのであり,小樽市の立法不作為が裁量の範囲内という理解は到底容認できるものではない。
3 神奈川県の川崎市では,平成8年外国人市民代表者会議の提言をしている。そこではニューカマ―ズの存在を踏まえた提言がなされているが,偏見や差別のない地域社会を作るためというテーマの下で,衣食住の問題が検討されている(甲42の1)。更に平成12年3月24日には,川崎市住宅基本条例が制定され,「外国人であることをもって市内の民間賃貸住宅への入居の機会が制限されることがあってはならない」(同条例14条)と定められ(甲42の2),人種による差別を禁じた。なお,同種の住宅基本条例は東京都,新宿区(甲45,46)などにも存在している。
4 大阪府でも平成10年10月30日,大阪府人権尊重の社会づくり条例が制定された(甲44)。この条例は「今日もなお人種などに起因する人権侵害が存在し」ていることに鑑み制定されている。そして府の責務を明らかにすると共に,府民の人権意識の高揚を図るための施策及び人権擁護に資する施策の推進を基本となる事項を定め,これに基づき人権施策を実施することを目的としている。
5 平成13年10月19日,「地域共生」についての浜松宣言がある(甲47)。これはニューカマ―が多数居住する13都市の市長が共同宣言したものであるが,互いの文化,価値観に対する理解と尊重の必要性などをうたっている。
6 このように,小樽市以外の多くの地方自治体は,各地域において入居差別をはじめとする外国人に対する様々な差別事例が社会問題化するたびに,それに敏感に対応し,容易に宣言・条例を制定してきたのである。
小樽市においては,同市の人権状況を踏まえて,差別撤廃条例を制定することは不可能ではないどころか,その差別実態や差別を放任してきた年月からすれば,条例の制定以外では根深い差別状況を是正することはもはやできない事態になっていたのであるから,一刻も早く差別を是正するために,他の地方自治体と同様の条例(宣言を含む)の制定に着手する義務があったことは明らかである。
したがって,小樽市が差別撤廃条例(宣言)を制定しなかった不作為は違法である。
以上
平成14年(ネ)第498号損害賠償控訴事件
準 備 書 面(2)
控訴人 菅原有道出人
被控訴人 小樽市
2003(平成15)年9月4日
右控訴人訴訟代理人
弁 護 士 東澤 靖
弁 護 士 西村武彦
弁 護 士 芝池俊輝
弁 護 士 浅井 正
弁 護 士 伊藤和夫
弁 護 士 上柳敏郎
弁 護 士 大谷美紀子
弁 護 士 薦田伸夫
弁 護 士 佐藤博文
弁 護 士 田岡直博
弁 護 士 高崎 暢
弁 護 士 田中貴文
弁 護 士 出牛徹郎
弁 護 士 外山太士
弁 護 士 中西義徳
弁 護 士 中村順英
弁 護 士 西村正治
弁 護 士 丹羽雅雄
弁 護 士 野村和造
弁 護 士 羽柴 駿
弁 護 士 日隅一雄
弁 護 士 藤本美枝
弁 護 士 古本晴英
弁 護 士 水野英樹
弁 護 士 渡辺達生
札幌高等裁判所第3民事部 御中
すでに控訴理由書の第2において詳しく述べたように、被控訴人には、人種差別禁止を目的とする条例を制定し、またはその他人種差別を禁止し終了させる措置をとる法的義務が存在したのに、それを履行することなく放置したことにより、控訴人の人種差別の被害に寄与したものであり、控訴人の被った責任に対し、損害賠償責任を負うものである。
それにもかかわらず、原判決が控訴人らの請求を棄却する結論に至った理由、すなわち大要、人種差別撤廃条約のもとで被控訴人が負う人種差別を禁止し終了させる義務は政治的責務にとどまり、差別撤廃条例制定の法的義務を負わない(原判決24−25頁)、また、その他の措置を取らなかったことについては被控訴人に与えられた裁量権のもとで違法ではない(原判決26頁)、との判断は、控訴理由書に述べた点に加えて、以下の点で失当である。
1、 人種差別撤廃条約のもとでの「保護義務」の存在
(1) 憲法解釈における保護義務論の存在
棟居快行専門意見書が、「人権の私人間効力論に関連して、私人間での人権侵害行為を防止し、あるいはその被害を救済するために国・自治体が負う作為義務を『保護義務』と呼ぶことが、最近の憲法学では一般化している。」(4頁)と指摘するように、近時の憲法解釈学においては、憲法の私人間適用を議論する前提として、ドイツの憲法解釈学で認められている国家の「保護義務」あるいは個人の「保護請求権」の存在が提起されている。すなわち、憲法規範の新人間における無効力を主張する立場はともかく、直接適用や間接適用によって憲法規範が私人間を起立する立場に立つ以上、国家が私人間での憲法的な権利を裁判所などを通じて保護する法的義務あるいは、個人が国家に対して私人間での憲法的な権利の保護を裁判所などを通じて求める法的権利が、論理的に存在するという理論である(山本敬三「リベラリズムと私的自治(一)(二)」法学論叢133巻4号1頁以下、5号1頁以下参照)。
このような憲法解釈学における「保護義務」の存在に対しては、ドイツ憲法と日本の憲法の規定の相違や、憲法の直接適用に結びつきやすく私的自治が損なわれることなどを理由として、否定的な見解も有力である(棟居意見書4頁)。しかし、このような議論の存在は、私人間における人権の保障において、その根拠となる法の規定や私的自治を考慮する必要性の有無によっては、「保護義務」が私人間における人権保障を基礎づける有力な理論的根拠となりうることを示している。
(2) 人種差別撤廃条約において明白に存在する保護義務
このような観点で人種差別撤廃条約を見れば、そこには憲法とは区別されるべき状況が明らかに存在する(棟居意見書4頁以下)。
すなわち、人種差別撤廃条約においては、「人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとる」義務(第2条1項本文)及び「すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる」義務(同項(d))を締約国に課しており、明らかに私人間における人種差別に対する法的な「保護義務」を直裁に公的機関に課している。
また、人種差別についてそれを違法なものとして禁止することについて、何ら私的自治との調整を必要とせず、特に第5条に列挙する場面においては、人種差別なしに、すべての者が法律の前に平等であるという権利を絶対的に保障している。それゆえ、憲法の解釈学において提起されている「保護義務論」への懸念は、人種差別撤廃条約においては無関係なものである。
それゆえ、人種差別撤廃条約は、「憲法14条とは異なり、端的に国・自治体に積極的作為義務を課している。国・自治体の作為義務こそが、本条約から導かれる第一義的規範内容であって、私人間での間接適用は、救済の実をあげるための二次的・補充的な規範内容というべきである。」(棟居意見書5頁)。
よって、条約のもとでのこのような国・自治体の保護義務あるいは作為義務を否定し、そのような義務は「政治的責務」でしかないとする原判決の判断は、論理的にも成立し得ないものである。
さらには、本件控訴においてはもはや争点となるものではないが、人種差別撤廃条約をわざわざ憲法の解釈論にならって私人間には間接的にしか適用されないとする原判決の判断も、条約の解釈を誤るものと言わざるを得ない。
2、 保護義務のもとでの裁量権の存在と限界
棟居意見書は、以上のように人種差別撤廃条約のもとでの被控訴人の人種差別の防止・救済についての積極的作為義務を認めながらも、その目的を達成するための政策手段の選択において裁量権が存在することは認めている(6頁)。しかしながら、同意見書も述べるようにその裁量権は、以下の事情のもとで、およそ何もしないという選択肢を認めるものではなく、さらに政策手段の選択には逸脱することのできない限界が存在する。
第1に、同条約のもとで「人種差別事象の廃絶」という目的は明確かつ一義的なものである。第2に、小樽市における公衆浴場の外国人入浴拒否の存在は、本件事件にはるかに先立つ1993年から存在し、被控訴人はその事実を認識してきた。第3にその間に被控訴人が取ったとする「理解を求める措置」によっては事態は何ら改善されてこなかった。
以上の状況の下で、本件事件の発生当時においては、被控訴人が公衆浴場の外国人入浴拒否に対して何らの措置もとらないことはもはや許されず、かつ控訴人が被ったような重大な人権侵害を予防するためにはもはや条例の制定など一定の強制力を持つ手段によらざるを得ない状況にあったものである。
このように被控訴人に人種差別撤廃条約のもとでの保護義務としての条例制定義務を認めることが、国会と地方自治体の長・議会との憲法的な地位の相違に照らし、国会議員の立法不作為に関する最高裁第一小法廷判決(昭和60年11月21日)に抵触するものでないことは、棟居意見書が明らかにするとおりである(8頁以下)。
以上
リンク:
甲29 単行本「ジャパニーズ・オンリー」(明石書店)へのリンク
甲30 私の視点の朝日新聞記事へのリンク
甲31 棟居先生の意見書へのリンク
甲33ー1 カートハウス先生の意見書へのリンク
甲38 ニュースウィークジャパンの「差別国家ニッポン」へのリンク
甲39 「くつろぎトーク」信濃毎日新聞へのリンク
甲40 ワシントンポスト記事へのリンク
甲41 ジャパンタイムズ記事へのリンク
甲47 浜松宣言へのリンク
甲48ー1〜2 三沢市の排斥施設の案内へのリンク
甲49ー1〜2 北海道有珠郡大滝村の温泉「かわせみ」の件へのリンク
ENDS
Related Links at Onsen Yunohana Appeal Site managed by Olaf
Karthaus:
http://www.geocities.com/okarthaus/yunohanaappeal.html
1. The court document submitted by our lawyer, Hideko Ito
http://www.geocities.com/okarthaus/junbi030904.html
2. Our submission of the futai kouso (counter suit)
http://www.geocities.com/okarthaus/futai030904.html
3. Karthaus's court statement in Japanese
http://www.geocities.com/okarthaus/yunohana030904j.html
4. Karthaus's court statement in English
http://www.geocities.com/okarthaus/yunohana030904e.html
--Arudou Debito, Plaintiff, The Appeal Against Otaru City
HEADLINE: PLAINTIFF ARUDOU GIVES SOUNDLY-REASONED (riro seizen) COURT STATEMENT
LAWSUIT NOT DRAWN TO PREMATURE CLOSE
NEXT HEARING THURS NOV 6, 2003, 10:30 AM
Last June 3, the Sapporo High Court Third Civil Court Division held its first hearing
of the Otaru Racial Discrimination Lawsuit Appeal. Both 1) the Appeal against Otaru
City by Plaintiff Arudou Debito and 2) the Appeal against the three Plaintiffs by
Defendant Onsen Yunohana continue to the present day to be combined as one case for
arraignment.
For Appeal One above, Plaintiff Arudou Debito, and his Bengodan lawyers Higashizawa,
Nishimura, and Shiba-ike were present. Lawyer Itoh (Takamichi) for Defendant Otaru
City was present.
For Appeal Two above, Plaintiff Olaf Karthaus and his lawyer Itoh (Hideko), as well
as Yunohana's lawyer Komoda were present.
For Appeal One, representatives of Arudou presented the following motions: (submitted
as written evidence):
Preliminary Arguments 1: (visible in Japanese at http://www.debito.org/appealhearingtwo.html#junbi1 )
Crux is that Otaru City's ten years of letting racial discrimination continue unchecked
had effects both within and outside Hokkaido. Stated what other local governing bodies
across the country had done in the way of legislation to prevent racial discrimination
and protect human rights.
Preliminary Arguments 2: (visible in Japanese at http://www.debito.org/appealhearingtwo.html#junbi2)
Presented Opinion Statement from Professor Munesue (Seijou University Faculty of
Law, Constitutional Law). Appended arguments by Plaintiff about Otaru City's safeguarding
duties and problems with discretionary powers
Eleven more pieces (a couple of hundred pages) of evidence were presented (see list
in Japanese at http://www.debito.org/appealhearingtwo.html#mokuji).
Three opinion statements by Professor Munesue, Professor Matsumoto (Sapporo Gakuin
University, Faculty of Law, International Law), and Olaf Karthaus were also submitted.
In addition, Plaintiff Arudou read a prepared statement to the three judges in the
Court for about twenty minutes (see text in English at http://www.debito.org/otaruhearingtwo.html#chinjutsue).
In a well-reasoned piece, he discussed why he appealed, what problems were evident
in the previous Sapporo District Court decision, what the UN is saying about Japan's
approach to racial discrimination, what Otaru City is doing wrong, why negligence
towards discrimination is dangerous, and what he wanted the High Court to do.
Plaintiff Karthaus, re the Onsen Yunohana Appeal, gave a short statement of his own.
He made clear the background about his son's corresponding refusal at Onsen Yunohana,
his son's death, his anger at Yunohana's inability to show any self-reflection (hansei)
when appealing, and his intention to countersue for the original amount claimed during
the first suit filed in Sapporo District Court [NB: Plaintiffs originally sued for
2 million yen each: they were awarded 1 million. This was sufficient for Karthaus,
but Yunohana's appeal meant he would have to go through the process all over again,
which to him warranted more compensation for further mental anguish.]
The next hearing has been scheduled for November 6, at 10:30 AM.
I am of the impression that the judges listened well to Arudou's reading of the Court
Statement. The next hearing will feature counterarguments from Defendant Otaru City,
and we of course will want to rebut those again.
We also anticipate the fact that our calling more witnesses will continue the pressure
and tension on the Court, so we look forward to your continued assistance and support.
ENDS
COURT STATEMENT
ON THE APPEAL AGAINST OTARU CITY
Issues raised (click to page down):
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==========================================================
By Arudou Debito
Read aloud in Sapporo High Court, Sept 4, 2003, 10:30 AM
(Original: Japanese. Translation by Arudou Debito)
Background to the case at http://www.debito.org/otarulawsuit.html
My name is Arudou Debito, the one Plaintiff in the Otaru Lawsuit Appeal against Otaru
City. I thank you very much for this opportunity to address the Court, and wish to
answer questions the judges may have. For ease of understanding I will render this
in a Q&A format.
●FIRST OF ALL, WHY ARE YOU APPEALING AGAINST THE CITY OF OTARU?
Because the decision handed down by the Sapporo District Court on November 11, 2002,
was not a legal precedent I could let stand. I will excerpt from the text of the
decision:
"The UN Convention on the Elimination of Racial Discrimination (CERD) states, 'Article 2 1. States Parties condemn racial discrimination and undertake to pursue by all appropriate means and without delay a policy of eliminating racial discrimination in all its forms and promoting understanding among all races, and, to this end: (d) Each State Party shall prohibit and bring to an end, by all appropriate means, including legislation as required by circumstances, racial discrimination by any persons, group or organization'; Defendant Otaru City, as it is a regional public organization playing a part in public administration, has the same duty as the national government to prohibit and bring an end to racial discrimination. However, this duty is no more than a political one, and concerning matters between individual citizens, this shall be interpreted to mean that the [city government] is under no clear and absolute (ichigiteki) obligation to prohibit or bring to an end concrete examples of racial discrimination by establishing local laws (jourei)."
There is an inherent contradiction in the above sentence. On one hand, the District
Court is acknowledging that the treaty exists, that in this case it is as binding
on the City of Otaru as it is on the National Government, and that the City has a
responsibility to eliminate racial discrimination. However, in the same breath, it
says, "There is no concrete responsibility." This contravenes the treaty.
It is explictly written within the latter that laws, when conditions warrant, are
necessary. That signposted "Japanese Only" discrimination existed in Otaru
from 1993 is a fact of the case. But since the City's actions did not in fact result
in the elimination of said discrimination, conditions therefore necessitated laws.
The District Court disagrees, yet refuses to explain exactly why conditions in Otaru
did not warrant legislation.
On a related note, the decision referred to something called "Rational Discrimination"
(gouriteki sabetsu). Left undefined, its application, necessary for future legal
precedents, was not discussed. As a concept, "Rational Discrimination"
has been dismissed by the United Nations International Covenant on Civil and Political
Rights Committee, Report Nov 1998 (CCPR/C/79/Add.102, see http://www.debito.org.CCPR1998.html)
thusly:
"11. The Committee is concerned about the vagueness of the concept of 'reasonable
discrimination' [i.e. gouriteki sabetsu], which, in the absence of objective criteria,
is incompatible with article 26 of the Covenant. The Committee finds that the arguments
advanced by the State party in support of this concept are the same as had been advanced
during the consideration of the third periodic report, and which the Committee found
to be unacceptable."
It is incomprehensible why the Sapporo District Court would use legal logic which
has years ago been dismissed by the UN as bogus.
Anyway, let me just mention that it is impossible for "racial discrimination"
to fall into the category of "rational discrimination", whatever that means.
For example, one might say that a blind person not being allowed to become an airline
pilot is "rational discrimination". However, it is not possible for somebody
whose skin is too black to be disqualified from becoming a pilot, which makes racial
discrimination a different matter altogether.. Race is unconnected to a person's
qualifications, as well as to work ability and social treatment.
In any case, I do not believe the Sapporo District Court thought sufficiently through
the problems inherent in racial discrimination. Furthermore, our country uses legal
logic which essentially boils down to "the City has a responsibility but it
doesn't" in violation of the CERD. This is not something I can accept, which
is why I appealed.
●BUT ISN'T THIS JUST YOUR INTERPRETATION?
Actually, no. The UN has kept an eye on decisions being handed down by the Japanese
judiciary, and has been highly critical. For example, The Committee on the Elimination
of Racial Discrimination (CERD A/56/18, see http://www.debito.org/japanvsun.html)
stated in its report on Japan in March 2001:
"167. The Committee notes with concern that although article 98 of the Constitution provides that treaties ratified by the State party are part of domestic law, the provisions of the International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination have rarely been referred to by national courts."
Yes, the Sapporo District Court decision did "refer" to the CERD this time,
but only to say "Otaru City does not have concrete responsibilities" under
it. Indubitably, if the Committee were to see this decision it would be equally critical.
This brings shame upon our country and international doubt on our sincerity.
Moreover, in the same UN report, it reads:
"168. The Committee is concerned that the only provision in the legislation of the State party relevant to the Convention is article 14 of the Constitution. Taking into account the fact that the Convention is not self-executing, the Committee believes it necessary to adopt specific legislation to outlaw racial discrimination, in particular in conformity with the provisions of articles 4 and 5 of the Convention."
I understand that this is a Japanese courtroom, not a lawmaking body. It cannot undertake
the process of making legislation. However, the High Court can still make a clear
statement saying at least, "The City of Otaru has the responsibility to take
legislative measures." You have the authority to force the City to follow international
treaty and the Japanese Constitution. That is what I want the High Court to clarify
in its future ruling.
●WHAT EXACTLY HAS THE CITY OF OTARU DONE WRONG?
The City government of Otaru from ten years ago allowed signs saying "No Foreigners
Allowed" to remain standing outside businesses, and allowed non-Japanese customers
to be refused service. On April 15, 2002, during the Eighth Hearing for this case
in the Sapporo District Court, the representative for Otaru City acknowledged on
the witness stand that the City knew this had been happening since 1993. The City
of Otaru's monthly newsletter "Kouhou Otaru" (No. 620, April, 2000) explicitly
stated, "refusing service to all foreigners is racial discrimination",
and that it was a bad thing. Nevertheless, the City of Otaru did not take effective
measures to bring this discrimination to an end. This is an unavoidable fact of the
case. In fact, what was effective was this very lawsuit. What occasioned Defendant
Yunohana Onsen to change its policy was word in the newspaper of our intention to
sue them; that very day they took their sign down. I think this is a clear sign of
Otaru City's ineffectuality.
In fact, it is not an exaggeration to say that Otaru City intentionally turned a
blind eye to this discrimination. Between 1993 and 1999, whenever a claim was brought
before the City by an excluded foreigner, the City did no more than advise them to
patronize a different bathhouse. When this problem finally surfaced in the Japanese
press from September 1999, and the public eye was on Otaru for a few months, the
City opened a few meetings to study this problem. But even then they refused to let
foreigners attend. The City would not sponsor a public forum to raise local awareness
of human rights, and repeatedly refused to even hold one. The City not only refused
to pass a local ordinance on human rights, it even refused to draft one. When one
was submitted to the City in January 2000, the City Assembly buried it in committee,
and voided it after 2003's elections. What's more, they didn't try to pass, or even
draft, a statement of opinion (ikensho) concerning the issue.
Truth be told, human rights ordinances at the local level are not unusual in our
country. There are already 742 of them at the city, town, and village level, and
16 prefectures have them. However, there are none anywhere in Hokkaido. There are
ordinances against the illegal dumping of garbage, with penalties such as fines or
imprisonment. Why are human rights held in less regard than garbage?
The City of Otaru could have turned a bad situation into a good one. It was the perfect
place to lead the way with Hokkaido's first human rights ordinance. Unfortunately,
it remains the path not taken.
●WHY CAN'T THIS TYPE OF DISCRIMINATION GENERALLY JUST BE LEFT
ALONE?
Thanks to Otaru City's negligence, it has become the epicenter for signposted exclusionism
in Hokkaido and beyond. Following several years of signposting with no reprisal,
other bathhouse and other business sectors in other areas followed suit. They made
use of the legal loophole, where "exclusionary signs are unconstitutional, but
not illegal". So bathhouses, drinking and eating establishments, ramen shops,
barbers, and sports shops in Sapporo Susukino, Rumoi, Monbetsu, Wakkanai, Nemuro,
Usu-Gun Ohtaki-Mura, Aomori-ken Misawa City, Akita, Tokyo Shinbashi, Shinjuku, and
Ogikubo, Hamamatsu, Nagoya, and Naha all established clear policies refusing foreigners.
Of those, managers of Onsen "Yuransen" in Wakkanai and Bar "Globe"
in Misawa openly admit that they saw and copied what Otaru was doing.
Therefore, Otaru bears a heavy responsibility for what happened. It started the spread
of this kind of clear and present discrimination. Which goes to show you--if you
leave it alone, it doesn't go away. It only gets worse. If you study your world history,
you will find that this trend is by no means exceptional. That is why this case is
monumental in Japan.
●WHY IS THIS CASE MONUMENTAL?
The results of this case will show us Japan's future. There are already close to
2 million registered foreigners in Japan, representing about 1.5% of the population--a
record, and rising year on year. If you include foreigners on less than one-year
visas (including tourists, culture visas, temporary workers, and residents from developing
countries), the proportion rises to about five percent of the population. These people
are customers in Japan's stores, some are residents paying Japanese taxes and supporting
social systems. However, if they are refused entry to stores, unable to spend their
Japanese money and avail themselves of Japan's social services the same as any Japanese,
their standard of living will markedly decline. "No Coloreds." "Whites
Only." Societies (such as the USA and South Africa) which had segregated systems
have understood the social costs in terms of economics and humanism, and abolished
them. This is why the Convention on Racial Discrimination has 165 countries as signatory,
including all the developed countries. Elimination of Racial Discrimination is an
international standard in values. Which is why this lawsuit matters. Will Japan allow
this segregation in the form of "Japanese Only" signs stand? Will local
governments let them remain up and untouched? You, the judges, will decide.
Let me reiterate for emphasis that racial discrimination does not merely effect "foreigners".
According to the Ministry of Health and Welfare, recent years have demonstated a
jump in international marriages in Japan, between Japanese and non-. There are now
about 40,000 international marriages per annum in Japan--a leap of around 30% since
1999. If those families live in Japan and average about two children, you will eventually
have 80,000 new international children every year born here. In ten years, that will
be 800,000. However, these children will not show up in foreigner statistics because
they are not foreigners; they have Japanese citizenship and are Japanese. This is
Japan's true internationalization. However, even if they have citizenship, if their
looks are "unJapanese", they will be refused entry at these exclusionary
facilities. This has already happened at Defendant Onsen Yunohana, and cases around
Japan will and have been proliferating. Is it acceptible to select your customers
based solely on whether they look more like one of their parents? Is this something
our country can let stand? Myself included, there have been 300,000 people since
1965 who have taken the trouble to become naturalized Japanese; is it acceptible
for them to have their citizenship made meaningless simply due to their physical
appearance--something they can do nothing about? Is it acceptible for local governments
to take our taxes but have no responsibility to defend their citizens' human rights?
I think we should expect more from our governments than this.
The outcome of this case will determine our future in our country. What sort of treatment
by our society is acceptible, and what sort of civil rights should our local governments
provide? With Japan's unavoidable internationalization, the Sapporo High Court has
a great and serious power to decide our future and define our protections for human
rights. Your decision will determine the fate of millions of people.
●WHAT EXACTLY DO YOU WANT?
Concisely, I want an environment where exclusionary signs and policies are withdrawn,
and one where they will never be needed again. For this, we need to make rules and
social manners clear, and to enforce them strictly. For this, rules in the form of
laws are essential. For this, the Sapporo High Court must clearly rule that "local
governments have the responsiblity to create legislative remedies".
One moral to be gained from the seven plus years of blindeye-ism of Otaru City is
that you cannot let this discrimination go untouched. It will only get worse. The
exclusionism found in Otaru has become merely the tip of the iceberg. With this ruling,
the High Court has a clear choice between taking a step towards eliminating racial
discrimination, or letting it slide.
I ask you, judges of the High court, to enforce our country's constitution, and UN
treaty, and have the City of Otaru take responsibility for its actions and inactions.
ENDS
Statement for the Otaru Lawsuit
Olaf Karthaus
Last modified 25.8.2003
In Japan there are public places, such as bars and izakaya (Sapporo, Akita, Misawa,
Monbetsu, Okinawa), shops (Wakkanai, and formerly Shizuoka), barbers (Wakkanai),
sentos and onsen (Wakkanai, Mombetsu, Otakimura, Otaru), etc., which ban foreigners,
or foreign looking people from entry and service.
I was born and raised in Germany, and such a discriminatory policy and the response
to this of the Japanese government is unbelievable for me. To hear and experience
that there is such an open discrimination of which the officials in the police (in
Wakkanai) and government (in Otaru) know about and do nothing about was a big shock
for me. In Germany we had "do not buy from Jews" signs in the 1930s until
1945, and in the USA there were "whites only" and "coloreds only"
signs all over the country until the 1960ies. There was open discrimination in the
South African apartheid system in the past. How can it be that Japan, a civilized
country and the world's second big economy, has shops and businesses which provide
goods and service to the general population, that can openly display discriminatory
signs?
When I tell people in Germany about these signs they say that the shops displaying
such signs would be shunned at least. Nobody would like to go there and shop or use
their services. It might even be that shops with "Germans only", if they
would exists, would be damaged by protesters. The names of the owners or managers
of these places would possibly made public and would face severe criticism in public.
In a related note, in March 2003 Juergen Moellemann, a politician of the liberal
party in Germany, FDP, was forced to resign from his posts because he ordered the
printing of antisemitic leaflets. The public pressure, and the pressure in the party
rose steadily until he resigned.
Of course there are tensions and hate crimes against foreigners in Germany. A very
sad incident was the murder of a Turkish family in the town of Solingen several years
ago. Neo-Nazis set fire to their home and women and children died in the fire. As
sad as the murders were, it was very encouraging for me to see the outrage of the
German population. Demonstrations were held in many cities with millions of participants
to protest against hate crimes and in solidarity with the foreign population. Even
now, some 10 years after the murders, the incident is not forgotten. Seminars and
demonstration show that German people have learned from the cruel past. Germans have
the strong desire and conviction that such cruelties against minorities and foreigners
will not occur anymore.
When I was educated in Germany, a lot of time was used to teach about the Third Reich
and national-socialism. 12 year olds learn about the "Reichskistallnacht"
in 1938, when Jewish synagogues were burnt throughout Germany. At least half a year
is used in social science, ethics and history to educate 15 year olds about the Third
Reich and its consequences. A lot of time is also used to explain how the rise of
Hitler was possible in Germany. German schools put great effort into integrative
classes, where children of foreign residents are integrated into the German school
system and live and learn together with their German classmates. Thus as early as
kindergarten, kids have the opportunity to learn about foreigners, foreignness, and
integration.
The German law is clear in respect of basic human rights and their application to
foreigners, too. Foreigners in Germany enjoy the same freedom as German citizens
and are equally protected by German laws.
It is my strong opinion that a civilized country should do all it can to promote
the well-being of racial minorities and foreigners. Education in school, and furthermore
for adults, are necessary to raise awareness for the problems that foreigners face.
Intergation of foreigners into German society leads to a peaceful coexistence of
different people. Legislation gives the legal framework for the government and police
to act against discrimination.
メNo more war. No more disriminationモ is a slogan in Germany that was coined after
the Second World War. German society is on its way to a healthier society in this
repect. One of the cornerstones for this success was that problems are tackled at
an early stage. "Nip it in the bud", is the best way to stop escalation
and unlawfull actions. When legal actions against disrimination are taken as early
as possible, a powerful signal is sent to the discriminators that they will face
legal prosecution. Letting discrimination go unchallenged will only make things worse.
Once there is a pattern of discrimination established in the society, it is much
more difficult to turn the wheel back. We Germans made that experience in the past
during the Nazi regime. That the city of Otaru did nothing to stop discrimination
for nearly a decade, only made things worse, because discriminators were actually
encouraged to continue and expand their discriminatory practices, because they could
be sure that they would not be persecuted. Decisive legal actions are needed to prevent
foreigners and foreign looking people to face the humiliation of being discriminated
against.
Why canユt Japan follow the German example, and create a society where discrimination
is nipped in the bud? Germany has learned from its painful past, that when problems
are not tackled in their beginning, the situation can escalate and become uncorrectable.
ENDS