www.debito.org
小樽市・温泉「湯の花」を相手取り
日本国憲法及び人種差別撤廃条約違反
訴訟の経緯ページ
(小樽市手宮温泉「湯の花」前、99年9月19日付 )
こちらは小樽市及び温泉「湯の花」に対しての提訴インフォメーション・サイトです。
外国人外見による入場拒否について関心を持っていただきましてありがとうございます。
原告3人が作ったサイトですこと、ご了承下さい。
このページは概要フォーマットですが、写真などはSUBSTANTIATIONページへ
(解説は英字ですが、人間を排斥する看板などは勿論そのまま日本語です)
(English)
我々は誰ですか
なぜ提訴しますか
簡潔に言えば、なぜか
弁護団をサポートして下さい
「ジャパニーズ・オンリー」単行本発売中
最新情報:2つの控訴の案内サイト
04年9月16日の高裁判決明細
小樽温泉訴訟終結
2ヶ月余のみの検討上棄却となった
05年4月8日最高裁受理却下原文
「ジャパニーズ・オンリー」
小樽温泉入浴拒否問題と人種差別
単行本(有道 出人 著)日本語です。
キャプション
「アジア人お断り」。もし海外でこの看板を目にしたら、どう思いますか?
「外国人お断り」という看板を掲げた小樽市内の入浴施設が、一律に、外国人のような外見の人の入浴を拒否した。これは人種差別ではないのか?ある外国人
らはそう抗議を始め、この問題が世界的に知り渡った。そして永年、市をはじめとする行政がこうした状態を放置したため、入浴施設と小樽市を提訴し、現在は
継続中。この問題の発端から現在までを原告一人、有道出人が書いた本書は日本に鋭く問いかけるーー日本の真の国際化とは何か?日本における人権とは何か?
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(株)明石書店 営業部
電話:03-5818 -1171
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値段は2500円(税込み)です。
ISBN: 4-7503-9011-9
全国各地販売店、書評などは
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and advance blurbs in English at
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NEWS FLASH
2つの控訴が申し立てられた
2005年4月8日
被告の小樽市、勝訴確定 入浴拒否訴訟上告棄却
札幌高裁判決文はここです。
次のステップは国連の人種差別撤廃委員会で挙げることです。(いままでそ うしなかった理由は、国連の指令で国内の司法制度を徹底的に通さないといけ
ないのです)。そして、ほぼ10年間前に国連人種差別撤廃条約を発行して法 制化などを公約した日本国を不作為の根拠で相手取る訴訟を年内に起こしたい
と思います。(http://www.debito.org/kunibengodan.html)
札幌高裁判決文はここです。
原告有道 出人の感想文はここです。
関連記事
Japan Times/Kyodo,
Mainichi
Daily, AP/Yahoo
News, 道新前日・当日・社説、毎日前日・当日、朝日・読売・産経 等,
and a BBC World Service Radio broadcast Sept 19, 2004,
dowloadable as mp3 file (3 minutes
25 seconds)
NEWS FLASH
(Sept 4, 2003)
小樽温泉訴訟の控訴 第二口頭弁論
提出した陳述書と意見書のテキストはここです
9月4日札幌高裁で第2回口頭弁論報告
(なぜ小樽市を相手取る控訴をしたか、有道 出人著陳述書全文、提出した証拠書類、意見書など)
NEWS FLASH
(November 12, 2002)
小樽温泉訴訟判決
2002年11月11日付
判決全文はここです(JPG28ページ)
原告 有道 出人の判決についての感想文(11月15日公開)
日本と外国の新聞の報道はここです
(朝日新聞:判決要旨、全国の社説 など)
(北海道新聞:社説、判決骨子 など)
(毎日新聞:判決要旨 など)
(読売新聞:解説 など)
この訴訟の着目点とは。概況説明
(2002年11月5日公開)
最後の準備書面
(原告・被告ら・国連の勧告書)
(2002年11月8日公開)
(June 27, 2002)
第ニ回和解協議(報告)
(May 16, 2002)
第一回和解協議(報告)
(May 8, 2002)
被告尋問(テキスト)
(March 12, 2002)
原告尋問(テキスト)
メディア・アップデート
(Feb 15, 2002)
特に共同通信「温泉オスパと原告有道の友人関係」記事
NEWS FLASH
(Dec 18, 2001)
浜松宣言
浜松市市長北脇氏は、平成13年11月、外国人集住都市他12市が合意し「浜松宣言」を東京霞ヶ関中央省庁へ提言した。宣言のなか、教育、社会保険、外国人登録手続に関して改善を要請した。これは大分U-ターンである。以前、宝石店から排斥されたブラジル出身の原告アナ・ボーツ氏の勝訴の現場当該地であるとともに、警察が外国人犯罪の特徴のハンドブックも発行した所である。要は、浜松市がここまでできるならば、なぜ小樽市はできないのか、と疑問が出る。浜松宣言と関連記事はここです。
参考資料:
- 判決全文(2002年11月11日付)(原告 有道 出人の判決についての感想文(11月15日公開))
- 経緯
- 原告 日本人有道出人の平成12年10月31日、被告温泉「湯の花」入場拒否の録音
- 訴状
- 被告から答弁書(温泉湯の花、小樽市)
- 国連の勧告書人種差別撤廃委員会最終見解:日本(2001年3月20日発行)
- 原告・被告からの最終準備書面
- 最近の出来事
- 写真
- カンパ
- 人種差別撤廃条約テキスト
- 判例
- 政党調査(「この行為は差別である」ともれなく認めました)
- 脅迫文 (「おまえの子供を殺してやるぞ」)
- 関連レポート(一緒企画の「日本の私営および準公共施設における人種/国籍に基づく「入場拒否問題」に関するレポート)
- アメリカ合衆国外務省、日本における人権問題レポート(2002年3月発行)は日本の放置する差別について報告、特に温泉訴訟について述べる(英字テキスト)
- 国連の人種差別撤廃委員会の日本における人種差別について報告、通知(2001年3月発行(英字テキスト)
- 被告小樽市が言うには
- 被告温泉「湯の花」のホームページ(www.yunohana.org)
- 被告温泉「湯の花」の署名運動 (平成13年2月ごろ配付、とりやめ)
- 被告温泉「湯の花」と小樽市の答弁書(平成13年3月提出)
- 第2口頭弁論の際、被告温泉「湯の花」と小樽市の答弁書(2001年5月7日提出)
- 国連大学は道庁と道経連の協賛金を学問の自由よりも優先し、原告有道の人権セミナーの招待を撤回。
- 浜松宣言(平成13年11月30日、中央省庁提言)、外国人の生活を改善するために、市長が教育、社会保険、外国人登録手続の見直しを要請する。小樽市は市レベルの活動として検討するべきではないか。
- MEDIA UPDATES: March 28, 2001(英語のみ),
April 13, 2001, May
10, 2001, May 21, 2001, June
28, 2001, July 5, 2001, July
19, 2001, August 20, 2001, February
15, 2002,
- 2002年3月12日の口頭弁論第7回:原告3人の尋問と反対尋問が行われた。テキストはここです。
- 2002年4月15日の口頭弁論第8回:被告らの尋問と反対尋問が行われた。裁判の証言記録全文はここです。
- 2002年5月14日の第一回裁判長が求めた和解協議(報告)
- 2002年6月11日の第ニ回裁判長が求めた和解協議(報告)
- 2002年9月19日の口頭弁論第9回(最終):小樽温泉訴訟判決は11月11日(月)、午後1時10分より、との発表
- 国内差別「経験団」サイトをご覧下さい(控訴のために差別の経験がおありでしたらお教え下さい)
- 2003年3月5日、小樽市を相手取る控訴理由記録を提出した。提出した理由書(全テキスト)と弁護団について参考資料をご覧下さい。
- 「ジャパニーズ・オンリー」単行本 2003年4月 発売
- 「小樽訴訟」は控訴2つに申し立てられます。詳しはここです。
- 第2回控訴期日報告 2003年9月4日 小樽市を相手取る控訴 札幌高裁に提出した陳述書と意見書のテキストはここです。(なぜ小樽市を相手取る控訴をしたか、有道 出人 著 陳述書全文、提出した証拠書類、意見書など)
- 第3回控訴期日報告 2003年11月6日
- ROGUES GALLERY (小樽温泉問題の拡散の証拠:全国から「外国人お断り」の看板を掲げる施設の写真ギャラリー)
我々は誰ですか
(北海道新聞朝刊2001年2月2日, page 3より)
2001年2月1日、午後3時の弁護士会におけた記者会見にて撮影(当時の年令)
左から:原告カートハウス・オラフ氏(37才、ドイツ国籍)、原告有道 出人(36才、日本国籍)、弁護士伊東秀子、と原告サザランド・ケネス(37才、米国国籍)
なぜ提訴しますか
参考資料:
帰化した米国系日本人 有道 出人は外見で温泉への入場拒否
2000年10月31日、有道は2人の日本人の友人(日本生まれ小樽市民)と一緒に小樽市手宮にある温泉「湯の花」に行きました。ところが、日本国籍を有する有道出人のみ「入場をお断りします」。なぜなら、当日の責任者を引用すると:(抜粋)「外見と言うか、まあ、私はそうやって[日本人本籍が載る運転免許証を] 見せてもらって分かりますけども。でもまあ、他のお客さんは入られている時に、他の日本人のお客さまが嫌って、まあ、嫌っていてというかね。まあ、他のお客さんは減るっていうことはね。困るという形なんですよね。」云々。即ち、外国人だからということじゃなくなり、外見で見極めています。それなら、国際結婚の日本人の子供、日本人離れした外見はどうなりますか。日本憲法14条によりますと、この行為は違憲です。
人種差別撤廃条約テキスト
国連発効、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約:(日本国は1995年この条約を批准し、1996年1月14日に発効)
しかし、我が国は締約国なのに、人種差別撤廃法が未だにありません。先進国としては、日本だけであるのが事実です。
経緯
原告3名は個人として訴えております。
詳しくはここです
- 1994年ごろ 小樽温泉オスパ(小樽市築港7)は外国人入浴拒否政策を実施。
- 1995年12月20日 日本国は国連の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」を
批准し、1996年1月14日発効した。
- 1997年12月 札幌在住のサイモン・ジャクソン氏は北海道有珠郡大滝村の温泉「かわせみ」に入場お断り。ジャクソン氏と大滝村の村長の文通はここです。不思議なのは、大滝村は港町ではなく「ロシア人船員によるトラブル」と主張できない。この件は小樽市を相手取る控訴2003年9月4日札幌高等裁判所に提出として(甲49)提出した。
- 1998年7月 小樽天然温泉湯の花(小樽市手宮1)営業開始、オープンから外国人入場拒否を実施。そのころ、展望温泉パノラマ(小樽市築港7ー2)も外国人拒否。(写真はここです)
- 1998年7月 湯の花に国際家族(夫日本、妻欧州出身)が日本国籍を有する子供3人(11才、9才、7才)と一緒に入場しよ
うとしましたが、当日の担当者(お名前不明)は子供達と妻を入場拒否しました。夫は「子供達は日本人なんだよ」と抗議しましたが、担当者:「これは我が社
の決まりなので、入場を御遠慮下さい」。結局、妻は非常な精神苦痛を受け日本を出たくなりました。子供達の気持ちは分かりません。
- 1998年7月 人権擁護団体Welcome
Houseは外国人拒否について小樽市保健所へ改善するように申入れ。 湯の花の支配人小林氏とも改善について交渉しましたが、暗礁に乗りあげました。
- 1998年12月25日 関西から小樽観光していたジョン・レットマン氏は湯の花に行って、入浴拒否されました。レットマン氏
が「なぜですか」と聞くと、フロントのボーイさんが「外人から病気が出るらしい」と答えたようです。そこでレットマン氏は当日のマネージャーから説明がほ
しいと願いましたが、マネージャーは「忙しい」と答えたようで出ませんでした。
- 1999年7月26日 夜、国際家族(夫日本、永住者妻南アメリカの国出身、日本国籍を有する子2人)湯の花で入場拒否された。即ち、妻だけが日本人の夫、子供達と一緒に入浴出来ませんでした。彼女もまた大変な精神的苦痛を受け、同じように日本から出たくなったのです。
- 1999年9月19日 現在原告の有道 出人(当時アルドウィンクル・デビット)とカートハウス・オラフなどは、NPO一緒企画
(www.issho.org) BENCI
Projectの
傘下で、小樽にて湯の花、オスパ・パノラマという入浴施設に営業ポリシーの存在を確認するために訪問。湯の花では、派遣者17人のうち、日本人と子供は入
場できたが、父親欧米人のみが拒否された(同施設のスタッフは、一時入場できた中国人の国籍を知ったところで、日本人ではないという理由で、入場料を払い
戻した上で、彼女を追い出した。)来訪者は「"JAPANESE ONLY"の看板を外して、家族と一緒に入浴させて下さい」と懇願をしたが、当時の担当者(お名前不明)が却下。その後、オスパでも同様に拒否。パノラマの場合、日本人が責任を持って一緒に入浴すれば外国人も入場できるという対応をした。
- 1999年9月21日 北海道新聞 は見出しとして「在日外国人が小樽で外国人お断りの温浴施設の状況を調査」
- 1999年9月22日 BENCIのアルドウィンクルは北海道温泉協会、北海道公衆浴場環境衛生同業組合札幌市部と小樽市部に電話。「外国人拒否は銭湯組合のポリシーではない。但し、外国人を拒否する温泉は特殊浴場なので、小樽市部組合のメンバーではない。その為、我々のが組織ではこの外国人拒否策をやめさせる権限がない」と返答。
- 1999年9月29日と10月12日 道新「読者の声」で排他的な政策に対して「差別恥ずかしい」の投書掲載。
- 1999年10月号 Japan Traveler Magazine:「小樽にて外国人を差別する施設があるので、観光ならば小樽市に行かない方がいい」
- 1999年10月3日 英字新聞Asahi Evening
News と Mainichi Daily Newsで外国人排斥問題を記載。
- 1999年10月6日 道新:「人権か経営か、にじむ苦悩 小樽の大型温浴施設の外国人入浴拒否問題」
- 1999年10月6日 アメリカ政府の立場を聞く為に、BENCIのアルドウィンクルは札幌米国総領事館を訪問。
- 1999年10月4日 BENCIのJ.チャッペル氏は小樽姉妹都市Dunedin, (ニュー・ジーランド)のSukhi
Turner市長に手紙を送付 した。数週間後、11月19日、Turner市長からの返答が届いたが、「市は既に出来る範囲までしつくしていると思う」と。なぜそう言ったというと、Turner市長の見解の背景には、11月15日、小樽市国際交流担当からTurner市長宛の説明文があった
(page one, page
two)。(英文ですが、その中、総務部の担当は温泉の外国人排斥理由を徹底的に説明して「これから市が水産会社と協力して船員にマナーを説明し、救済制度を作ります」)
- 1999年10月12日 画期的な静岡地方裁判所でボルツ判決。店から排斥されたブラジル人原告勝利。「宝石店が外国籍の顧客を追放するのは国連で締約した人種差別撤廃条約には違反」で、賠償150万円要求。当日のテレビ・アサヒのニュース・ステーションで「日本は人種差別を違法とする法律がない」と報道をした。(条約の抜粋(日本語)はここ。もっと詳しいHPはここ)
- 1999年10月12日 小樽市長の山田 勝麿氏よりカートハウス夫人宛の返答手紙。9月27日BENCIのメンバー樫田誠宛の電子メールによる返答。「民間の経営方針に対し市としては強制的な指導を行うことが出来ないのですが、この件については、以前から関係部局が連携を取り、経営者に対し改善について再三要請してきたところであります」と見解。
- 1999年10月14日 BENCIは日弁連、北海道弁護士会、法務省人権擁護部に手紙を送付。日弁連から返答なし。
- 1999年10月23日 BENCIのアルドウィンクルは小樽市主催「第一回国際交流関連団体連絡会議」が開かれることを噂で知り、小樽市国際交流担当に電話。それに参加したい意思を伝えたが、職員の三浦氏はBENCIの要望を却下。
- 1999年10月26日 第一回国際交流関連団体連絡会議開催。外国人出席者は1人も居ない。
- 1999年10月26日と11月1日 法務局人権擁護部と小樽市のBENCIへの返答。日本憲法14条で外国人の人権も守られると認めるが、両方も立法がないので差別を撤廃させられない、などと見解。
- 1999年10月27日 「小樽温泉問題」UHB TV 放送され、BENCIのアルドウィンクルのインタビューが記載。毎日、道新、読売そして朝日は前日の外国人不在連絡会議について「閉め出しはおかしい」、「人権侵害?施設側の自衛?」
- 1999年11月1日 小樽市長からBENCIへの返答:「この問題は、相互理解による解決が必要であり、現在のところ条例を制定することは考えておりません。」
- 1999年11月2日 BENCIのアルドウィンクルは又「第二回国際交流関連団体連絡会議」に出席したくて、国際交流担当に再び電話。が、再び職員の三浦氏は出席を却下したが「第三回国際交流関連団体連絡会議まで待って下さい。その時にご出席をいただきます」と返答。
- 1999年11月5日 第二回国際交流関連団体連絡会議開催。又外国人出席者は1人も居ない。(但し、排斥している温泉ら湯の花、オスパ、パノラマ出席)次の日の朝日、道新、読売は「外国人お断り、という看板は明らかな人種差別。外すべきだ」等と、会議のポイントを報道。
- 1999年11月5日 BENCIのアルドウィンクルとカートハウスとWelcome Houseのマイレット神父と初協議会開催し、2000年秋まで行動協力。
- 1999年11月6日 展望温泉パノラマは入場解禁し、これから外国人拒否策を廃止。そして、小樽市からもらったルールを更衣室で掲示。
- 1999年11月6日 BENCIのアルドウィンクルは第三回国際交流関連団体連絡会議の開催日を問う電話での返答。担当の三浦氏より「第三回はキャンセルとなりました」
- 1999年11月9日 BENCIのアルドウィンクルは小樽市国際交流担当主幹竹
内氏と三浦氏と会議。外国人が出席可能とされた第三連絡会議がなぜキャンセルとなったかを問う。そして、BENCIが以前すすめた公式フォーラム(温泉と
民間と外国人のサミット)についての結果、フォーラムは未だに未定、人種差別撤廃条例を制定する予定もないと解答。
- 1999年11月15日 New York Times は第一面にボルツ勝訴について報道、小樽温泉問題にも言及。International
Herald Tribuneも共同通信で記載。
- 1999年11月18日・19日・20日 小樽温泉問題について道新・小樽版は特別記事連載、全道の道新は11月20日に「卓上四季」に記載。中に、「受け入れ策を模索する小樽の悩みは『開かれた大地』を誇る道民の悩みである。」
- 1999年11月29日 カートハウスは現状報告をしていた。ドイツ大使館は、市長宛の手紙より強く批判:「当大使館としましては、伝統的に友好的な日独関係に鑑み、外見乃至国籍のみを理由としたドイツ国民に対する差別を深刻な問題ととらえております」(日本語 page one , page two)
- 1999年12月3日 道新・小樽版
:「オスパがアンケートを・現状改善への取り組み」
- 1999年12月4日・6日 朝日新聞とAsahi Evening News全国版記載。「『客離れ防止』VS『人種差別』」
- 1999年12月15日 小樽姉妹都市New ZealandのDunedin市の新聞、Otago
Daily Times は写真付き記事「姉妹都市、差別の訴え」を一面の見出しで報道。
- 1999年12月17日 道新・小樽版「外国人入浴拒否で市牧師会・双方に改善求める」
- 1999年12月17日 札幌の外国人人権支援グループが小樽市長へ送付した改善を求める要請文に対して、小樽市長が「努力する」と文書で解答。
- 1999年12月中 温泉オスパと湯の花が年内に外国人入場拒否を停止する噂が広まる。
- 2000年1月3日BENCIは入場制限2施設(湯の花、オスパ)解禁したパノラマへ年始挨拶を行った。一方、12月3日の道新の記事は年内に解禁する可能性を述べていたにも関わらず、湯の花とオスパはまだ拒否策が継続されていた。尋ねたところ両施設は、「解禁日は不明」。自分の(差別を助長する)アンケートの結果に基づいて「死活問題だ」と強調。
- 2000年1月6日 インターネットで1月13日 のBENCIなどの小樽市役所における記者会見と1月31日
小樽商科大学にてフォーラムを開催すると公表。
- 2000年1月7日 道新・小樽版「外国人入浴へのアンケート調査・拒否反応5割超す」
- 2000年1月12日 HBCニュースでオスパとBENCIのアルドウィンクルのインタビュー放送。
- 2000年1月13日 小樽市役所にてBENCIのアルドウィンクルとWelcome
Houseのマイレット神父が開催した記者会見を行った。2人は小樽市長・小樽議会議長・議員各位に人種差別撤廃請願(page one, page two)を提出、小樽商科大学にてフォーラムの開催を公表した。(2003年4月30日 小樽市議会議長 松田日出男氏から通知書。この陳情書は3年間以上「継続審査」のままで却下された。「本議会議員の改選されることにより、4月30日をもって審議未了となりました」と。通知書の原文はここです。「さらに審議を希望される場合は、新たにご提出をいただくことになります」。2004年冬期に再提出する予定。)
- 2000年1月13日 記者会見後、NHK6時ニュース、そして14日朝刊、道新、毎日、朝日、読売も記者会見を報道。道新も15日に問題に関して皮肉ったマンガを載せる。入浴寸前でパスポートを出し「私は日本人で〜す」と言うガングロ女性。
- 2000年1月24日 道新・小樽版「記者の視点」記事。「国際化の試金石・市や施設側足りぬ努力」
- 2000年1月31日 小樽商科大学主催「国際理解教育フォーラム」。最初で最後の温泉、市役所、市民、外国人との対話となる。BENCIのアルドウィンクルもパネリストとして出席。オスパは出席したが、湯の花は欠席(出席招待を断った)。その後、2月1日、共同通信、朝日と道新が報道。共同通信の記事は英訳されJapan Times と Daily Yomiuriにも記載。
- 2000年2月1日 道新の社説。「仲良くする道ないの?」の見出しで施設を批判。排斥施設もない国際観光地登別温泉の対処方(排他せずルールを明確にすること)を評価。
- 2000年2月1日 ドイツのフランクフルト市の新聞「Frankfurter
Allgemeine Zeitung」は報道。「犬と同じように外国人は入浴施設に入られない」皮肉のニュアンスがある見出し。
- 2000年2月2日 イギリスの The
Times London が小樽施設問題を報道。「日本の政府はくれぐれも国内差別を無視する」。
- 2000年2月3日 台湾の新聞、Taipei
Timesは小樽施設問題に関して、BENCIのアルドウィンクルからの手紙を記載。
- 2000年2月5日 NHK「北海道クローズ・アップ」番組で30分放送。
- 2000年2月5日 道新はロシアの新聞「Komsomolskaya
Pravda」2月2日に出た記事を記載。裸の女の絵の隣、「日本人を『フロだたき(袋だたき)』にしてやるわ!」とからかう。
- 2000年2月8日 BENCIのアルドウィンクルはカナダ大使 Leonard J. Edwards
氏と会合し、志願書を出した。3月21日付の返答で「カナダの政府は人権の促進を優先し小樽の情勢について困っている...我が大使館は日本外務省と他の国の大使館と交流してこれからよく観てみる」など。
- 2000年2月9日 NHK「ニュース11」で5分間全国放送。
- 2000年2月14日 BENCIのアルドウィンクルは札幌米国総領事館の領事
Mike Meserve 氏と再び会合。「我が国は勿論この小樽施設のケースについて関心を持ち、来年の米国世界人権レポートに記載されるだろう」との見解。
- 2000年2月14日 アルドウィンクルは個人的にオスパの支配人大越氏と2人で会合。ビールを飲みながら意見交換しお互いの立場を理解し合う。
- 2000年2月15日 テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」で5分間全国放送。
- 2000年2月15日 BENCIのマルビー氏は北海道知事 堀 達也氏に手紙を投函。「温泉施設に対して外国人全般に対する入場禁止処置を止めるよう注意し、温泉施設がそれを止めるまで必要な対策をとるようにしていただくことを希望いたします」などを。返事は2000年5月1日、北海道知事からではなく、北海道総合企画部政策室広報広聴課長 松尾 昭房氏よりだった。
- 2000年2月17日 BENCIのアルドウィンクルは稚内保健所生活衛生課環境衛生係 河野氏に電話で問い合わせ。当局の見解は「稚内市内入浴施設の湯らん銭の外国人専用別施設(4月8ー9日参考)、納税者外国人を本施設で入場拒否するのは公衆浴場条例には違反」。郵便でその入浴施設の条例を送る。(公衆浴場法施行条例・北海道条例条例第三号・第二条第一項、「公衆浴場 温湯又は温泉を使用し、男女各一浴室に同時に多数人を入浴させる施設であって、その利用の目的及び形態が地域住民の日常生活においてその健康の保持及び保健衛生上必要不可欠のものとして使用されるものという。」)
- 2000年2月19日 Los Angeles Times
と Singapore Straits Times
は小樽施設問題を報道。「小樽市、外国人排他する温泉をめぐり不祥事に浸っている」。小樽市国際交流担当の竹内氏からの英語から引用:「外国人、主にロシ
ア人は多分財産に対して我々と違う価値観があるかもしれない。」
- 2000年2月21日 北海道新聞小樽主催・「外国人入浴拒否問題について討論会」が開催。出席者は小樽市役所総務部長の佐藤氏、オスパの大越氏、とBENCIのアルドウィンクル。但し、湯の花は出席招待を再び断った。対話の結果は道新・小樽版の2月23日、24日、25日にお互いの見解を連載。「深い悩み、三者三様」が見出し。道新夕刊2月24日で「今日の話題」の記事で、「ビールの効用や、アルドウィンクルさんの達者な日本語も寄与しただろう。それでも『裸になって』相互理解に努めていけば、やがて拒絶反応を克服できる。そう確信した。」
- 2000年2月23日 BENCIのアルドウィンクルとカートハウスはアイヌ民俗の代表萱野 茂氏の息子、アイヌ語ペンクラブ事務局長萱野 志郎氏と会合。一緒に現場で施設の情勢を取材しに行く。アイヌタイムズ第13号(3月20日)に記載。(写真もあり)
- 2000年2月24日 BENCIのアルドウィンクルは札幌ロシア連盟総領事館の領事
Nail M. Latypov 氏と会合。「遅滞なく解決策を探って下さい。そして、日露の友好関係を促進するための文化交換イベントを開催しよう」とアルドウィンクルが書いたBENCIの志願書を渡した。
- 2000年2月25日 フジテレビ「2時のホント」で15分間全国放送。
- 2000年2月26日 BENCIのアルドウィンクルとカートハウスは小樽市にて「かぜまかせ」というパーティを開き、小樽市民のインプットを歓迎。15名出席のうち、9名が小樽住民。
- 2000年3月 DOSHIN TODAY3月号。「すれ違い多く、強まる不信感」
- 2000年3月1日 小樽市主催「外国人入浴問題検討会議」が開かれた。今回はBENCIのカートハウスとアルドウィンクルは出席したが、会議の24時間前に招待された。始めて小樽市は外国人と相談し、その後(2001年2月16日現在)は招待も連絡もない。
- 2000年3月8日 アメリカ全国の新聞 USA
TODAY で日本における外国人差別について報道。「在日外国人は広範囲にわたる偏見を反発。ローン、お風呂、バーで入場禁ずると」。
- 2000年3月14日 NEW YORK TIMES
で「アウトサイダーに対して注意深い日本は移民ブームを期待する」。小樽排斥施設について報道し、移民者の厳しい状態を報道。
- 2000年3月24日 小樽市議会議長 松田 日出男氏より「陳情の審査結果について」とのお手紙。「過日提出された『人種差別のための条例制定方について』(陳情第30号)は、平成12年第1回定例会において継続審査と決定いたしました」。
- 2000年3月24日 一緒企画BENCIの東京都国会訪問。国会上院、衆議院、それぞれの秘書15名と対話し、人種差別の立法について意見交換した。(北海道代表竹村議員との対話の写真へ)
- 2000年3月25日 DAILY YOMIURIは一緒企画BENCIの国会訪問を報道。「『日本人だけ』風呂は法的抜け穴を利用」
- 2000年4月 小樽市の広報誌「広報おたる」No620、2000年4月号「外国人の利用を一律にお断りすることは、人種による差別であり、たいへん残念なことです。」
- 2000年4月7日 読売新聞はオスパの「Japanese
Only」の取り外し、新看板「Members Only」(会員制度)を報道。4月11日の道新記事も参考に。
- 2000年4月8ー9日 札幌ロシア領事のラチポフ氏から別の道内港町で外国人が排他されていることを聞いて、BENCIのアルドウィンクルとカートハウスは稚内と留萌を現状調査しに行く。留萌で調べた所では拒否した時があったと言われたが、一律拒否ではないと。但し、稚内市でスポーツショップ(シドウスポーツ)、理髪店さん(ヘアサロン・キタムラ)、そして公衆浴場(湯らん銭)などは明らかに看板で外国人を拒否し、もしくは「外人専用施設」を設けた。これで入場拒否は小樽のみの問題ではないことが明らかになった。しかも、公衆浴場「湯らん銭」の支配人大島氏は「小樽市での温泉も外国人も断っている」と正当化する。英文のレポートはここです。
- 2000年4月11日 道新はオスパの「Members
Only」(会員制度)新ポリシーを報道。「会員専用で受け入れ、日本語話す、厳しい条件」、そして別の記事で「稚内でも入店拒否、人権擁護団体調査・浴場や理髪店など」。
- 2000年4月11日 Asahi
Evening Newsの一覧表「温泉での拒否は国内差別の照らし」とアルドウィンクルの写真を掲載。一緒企画BENCI
の3月24日 国会訪問、そしてそれぞれの国内差別に対する活動を報道し、一緒企画代表のラズロ氏の写真も掲載。
- 2000年4月17日 BENCIのカートハウスなどは北海道総務委員会長・議員各位・北海道知事に人種差別撤廃条例を要求する(BENCIの磯崎氏が書いた)陳情を提出する。
- 2000年4月17日 BENCIのアルドウィンクルは札幌ロシア連盟総領事館の領事、ラチポフ氏に数言語とイラストレーションで説明する「入浴マナー」のポスターを提出する。このポスターは全国銭湯組合に発行されて、本土では交流問題の解決策の一つです。「船員と船会社に連絡をとりどれくらい入浴マナーが日本人に大事なのかを説明して下さい」と懇願。
- 2000年4月20日 一緒企画BENCI国会集会。その後、代表ラズロ氏は日本外国特派員協会(FCCJ)にて記者会見。日本語のレポートはここです。
- 2000年4月24日 BENCIのアルドウィンクル他は小樽市
議会議員・差別陳情を審査する定例会の委員と対話。自民党の見楚谷 登志氏(みそや たかし)と公明党の斉藤 陽一郎氏と意見交換したが、見楚谷氏は人種
差別撤廃条例の制定に対して「まだ早い」、「経営者とも話をしながら、もう少し時間をかけて勉強したい」。斉藤氏は「勉強します」。参考は道新・小樽版、4月25日の記事。
- 2000年4月26日 BENCIアルドウィンクル他は小樽市議会議員と再び対話。共産党の北野 義紀氏と新谷(あらや)とし
氏と話し、北野氏は「定例会委員9名のうち、7名は賛成か反対かを決めず、共産党の2名だけが賛成した。9対2で継続審査となった。」の様に述べた。その
後、民主党の佐々木 勝利氏(定例会副会長)と佐藤 利付氏(小樽市議会副議長)と意見交換したが、「色々な動きがあるので、待てみましょう」等と言っ
た。
- 2000年4月28日 道新・小樽版4月29日によると、小樽市長山田勝麿氏は記者会見で「人権に関する条例や宣言をできないかどうか、庁内で調査研究を進めたい」「市が条例をつくれば解決するという問題ではない」。
- 2000年5月1日 BENCIメンバーのマルビー氏が2月15日に
送った堀知事あての申し入れに、北海道 総合企画部政策室 広報広聴課長 松尾 昭房氏から返答。「拙速に条例他の制定によってのみ解決を図ろうとするこ
とは必ずしも各関係者から賛同を得られる最良の策とは言えないのではないかという考えもあるため、今後も、地元市町村を始め、各関係者が連携を図りつつ、
解決に向け慎重に取り組む必要があると考えております。」(page one, page two)
- 2000年5月7日 道新 (page one,
page two)
は、
BENCIのアルドウィンクルと小樽市国際交流担当の竹内一穂氏の公論を記載。竹内氏:「小樽市が先行して条例を制定するのは時期尚早と考えます。」、ア
ルドウィンクル:「それが実現するのはいつでしょうか。百年後も変わらないかもしれません。しかし、排除される外国人は、まさに今苦しんでいるのです。」
- 2000年6月7日 一緒企画・政党調査(外国人拒否は差別ですか?そうであれば、対策をつくる考えがありますか。)を小樽市議会・道議会の各政党に配布した。返答の締切日は6月15日。
- 2000年6月8日 一緒企画の各政党事務所訪問と調査内容は道新・小樽版と朝日に記載。
- 2000年6月9日ー22日 各政党からの返事を政党調査Websiteに記載。全ての政党は外国人拒否は「差別である」と認めたが、法整備に対して見解がかなり異なった。
- 2000年6月15日 道新・小樽版 道4区衆院選について:候補2人の見解は「外国人入浴拒否は差別」(自民候補佐藤静雄氏は「ノーコメント」)
- 2000年6月22日 道新「全政党が『差別』、法整備に消極論も」
- 2000年7月4日 紋別市はまなす通りで、北海道新聞に
よりますと、現地の飲食店組合はロシア語で「日本人専用店」の看板を1995年から募集して作って、やがて会員店200店のうち、半分ぐらい掲示しまっ
た。店員は外国人一律(ロシア語が読めなくても日本語が分かっても)お断りしています。旭川地方法務局紋別支局人権擁護委員協議会はこの行為が「人種差
別」で人種差別撤廃条約違反であると判断し、2000年7月4日付の要請で「プレートを取り外して」と求めました。人権擁護団体「一緒企画レポート」と2000年11月ころTBS「ここがへんだよ、日本人」の調べによりますと、未だに約50店が掲示しています。
- 2000年7月4日 NHKの道内6PMニュースで紋別市の「日本人専用店」状勢を報道。
- 2000年10月10日 アルドウィンクル デビットは帰化の認可が下りて、新日本人「有道 出人」(あるどう でびと)となる。
- 2000年10月27日 道新、「問題根深く解決策見えず、解放施設は売り上げ減、市の支援態勢機能せず」によると(page one, page
two)、
「小樽市は入浴マナーを説明するロシア語のチラシ約四千枚を昨年十二月、免税店などを通じて船員らに配った。だが、年間約三万人のロシア人が訪れているの
に、その後は一度も配っていない。市民向けには広報紙で今年四月までに二回の特集を組んだだけだった。 浴場で外国人とトラブルが生じた祭に、市職員が二
十四時間体制で駆けつける「支援態勢」も組まれ、市は「問題解決の切り札になる」と意気込んでいた。...事実上、機能しなかったといえる。 市が八月に
設置することを表明していた学識経験者らによる常設の「人権問題懇話会(仮称)は構造が棚上げになったまま。」など。
- 2000年10月31日 有道は日本人の友人(小樽市民2人)と一緒に湯の花に行った。ところが、日本国籍を有する有道出人のみ「入場をお断りします」。なぜなら、当日の責任者を引用すると:(抜粋)「外見と言うか、まあ、私はそうやって[日本人本籍が載る運転免許証を]
見せてもらって分かりますけども。でもまあ、他のお客さんは入られている時に、他の日本人のお客さまが嫌って、まあ、嫌っていてというかね。まあ、他のお客さんは減るっていうことはね。困るという形なんですよね。」云々。全ての録音したセリフは
ここです。そして、Real Audioソフト(ここから無料ダウンロード)本物の録音を聞けます。どうぞここをクリックして下さい。
- 2000年11月6日 道新「日本籍でも入場拒否」。湯の花は「帰化した人への対応は今後検討したい」と言う。
- 2000年11月23日 一緒企画BENCIプロジェクトは終結し、有道 出人とカートハウス・オラフは個人的に動き続ける。
- 2000年11月29日 有道と湯の花との経緯がNew York Times で報道された(http://www.nytimes.com/2000/11/29/world/29JAPA.html
若しくは英字テキストはここです)
- 2000年12月 一緒企画が、本年8月に稚内市と紋別市に提出した人種差別撤廃条例制定を要求する陳情は、各市の定例会で審査不採択が明らかになる。一緒企画のレポートを参考に。
- 2001年1月1日 朝日新聞元旦版「他民族社会へ試練、白豪主義の亡霊」で有道 出人の外見で湯の花却下を報道(英訳はここ)
- 2001年1月16日 道新「入浴拒否された外国人ら小樽の浴場提訴へ」で湯の花を相手にするのを公開。
(page one, page
two)
- 2001年1月17日 温泉湯の花は提訴が公開されて24時間以内、外国人排斥看板を排斥し、外国人のみにあてはまる入浴条件
4つを挙げる(在日滞在一年以上、日本語が理解できること、入浴マナー理解できること、他のお客に迷惑をかけないこと(例えば、異臭)。即ち、16ヶ月の
結果のない交渉の後、提訴するとすぐ看板を下ろした。この出来事は当日の道新夕刊に記載された。しかし、この条件は差別と差別の交換に過ぎない。なぜなら、ここを読んで下さい。
- 2001年1月24日 小樽市は市のHPでこの問題について市の姿勢をアップデートする。(原告サザランドの英訳はここ)
- 2001年1月29日 有道 出人は小樽市国際交流担当主幹竹内氏と電話で話し、24時間体制の電話ホットラインはあるが、一般に公開されていません。温泉オスパとパノラマのみが加入していますが、湯の花は入っていません。相手が断りました。」なぜ一般的に公開していないかと言うと「国際交流担当では人数が足りません。市役所が勤務時間で外国人の問題があれば、どうぞ市役所まで。もし時間外だったら、国際交流担当の人の携帯番号を教えました。一般的に公開して色々なところから要請があれば、身が持たないんです。」即ち、もし他の入浴施設または他の業界(タクシー会社、レストラン、交流骨折を悩んでいる消費者・外国人など)は用いれない救済制度でもないし、ホットラインが最初から効果を限っている認識のうえ制定した制度です。人種差別撤廃条約第6条の「効果的な保護及び救済措置の確保」にとって問題点となります。
- 2001年1月31日 道新「小樽市も被告に、適切な措置怠る」
- 2001年1月31日 毎日新聞は、有道 出人の法務省人権擁護部推進審議会事務局主催人権救済制度に関する公聴会における「『国際住民』に対し21世紀の日本・北海道のあるべき姿」というスピーチを報道する。見出し:「人種差別撤廃法がないのは日本だけ」(当日のスピーチで配った資料はここです)、共同通信関連記事はここです。
- 2001年2月1日ー3日 札幌地方裁判所にて訴状を提出。その後の記者会見で道新 (page one, page
two)、毎日と毎日デーリーニュース、朝日とアサヒイブニングニュース、共同通信、時事通信、読売 (page
one, page two)、小樽新聞、Japan Times、NHK、HBC、UHB、HTB、TVH、テレビ朝日等も出席して報道した。
- 2001年2月2日 道新の「浴場と市を提訴」(page
one, page two)の中、小樽市長山田勝麿氏は「どこにも法律的な間違いはないと思う。できる限りのことをやってきた。市が入浴施設に(入浴拒否の)看板を外せと言えるのか。」
- 2001年2月3日 道新社説:「心のバリアフリーを」
- 2001年2月6日 始めての脅迫文が事務所に届く。旭川よりの手紙は和英で「おまえの子供をぶっ殺してやる」とも言う。
- 2001年2月9日 友人から問い合わせのうえ、小樽市国際交流担当主幹竹内氏は以降のことも書いてあるemailを発行した:「市
はこの問題を市全体の問題としてとらえ、市内の国際交流関連団体の方々からも広く意見を聞きながら解決に向けて取り組みを行うこととし、市が入浴方法を外
国語で示したチラシなどを作成し入浴マナーの周知を図るとともに、入浴施設でトラブルが起きた時は市の担当者が支援できる体制を採ることで施設側に提案し
ました。 この結果、当初入浴拒否をしていた3施設のうち、1施設はすでに表示をはずし、今後は市と協力体制を取りながら対応してゆくということになりま
した。他の1施設は平成12年3月に一部外国人の受け入れを開始しました。また、市の提案した支援方策を受け入れずに残っていた1施設も平成13年1月か
ら一部外国人の利用を受け入れるようになりました。」即ち、「その結果」と言いますと、小樽市は自分のおかげで残っていた1施設(湯の花)が看板を外したと主張していますか。
- 2001年2月中旬 温泉「湯の花」は署名運動を行おうとしたが、社内分裂によって止めたようだ。
- 2001年2月10日 イギリス出版の「The Economist」が「外国人の皆が臭いよね。だから帰化した日本人を拒否するのは仕方がないよね」と皮肉る(抜粋したマンガが右)
- 2001年2月11日 毎日新聞が「ひと」のコラムで有道 出人のことを掲載して「将来の日本のために人種差別なき社会を」
- 2001年2月14日 Japan Timesひとこまマンガを記載、「人種差別主義温泉オーナー」と「小樽市」が入浴しながら絶叫している。水が「裁判訴訟」で、周りの人が「水が熱すぎだろう」(入浴者が非常にトラブっているという意味)
- 2001年2月15日 週刊文春「『外国人お断り』の浴場の訴えた帰化米国人のもっともな言い分」
- 2001年2月17日 Asahi Evening News,
page 2「小樽訴訟の原告有道 出人は脅迫文・電話のターゲット」(英字テキスト)
- 2001年2月吉日 アメリカ合衆国カリフォルニア出版の「ラフ新報」の中、2月11日の毎日新聞の記事からピックアップされた「ひと」コラムが記載、有道 出人のことを報道。
- 2001年2月20日 週刊プレイボーイpage 53-4「小樽おフロ騒動に見る国際化への長い道のり」の中、「日本も異文化との付き合い方を真剣に学ぶ時期じゃないのか?」など(page one, page
two)
- 2001年2月21日 Japan
Times, page 3「小樽市における人種差別不祥事はまだまだ続く」(英字テキスト)
- 2001年2月21日 カナダ全国放送局 Canadian Broadcasting Corporation(CBC)のラジオ番組 「As It Happens 」で有道 出人の英語でのインタビューが放送。Real Audio (無料ダウンロード) でここをクリックすると聞けます。
(CBC のサイトでも聞けます)
- 2001年2月25日 香港のSouth
China Morning Postは日曜日版で大きくJapanese Onlyの看板を記載。(英字テキスト)
- 2001年2月28日 TBSテレビ番組「ここがヘンだよ、日本人」夜10時からの放送で小樽訴訟を取り組む。被告湯の花は出席・取材・撮影を断る。(番組のプレーバックとテレビの映像はここです:part one, part two)
(English and Japanese)
- 2001年2月吉日 アメリカ合衆国外務省、日本における人権問題レポート(2001年2月発行)は日本の放置する差別について報告(英字テキスト)
- 2001年3月某日 国連の人種差別撤廃委員会の日本における人種差別について報告、通知(2001年3月発行(英字テキスト)
- 2001年3月3日 道新「卓上四季」で「ここがヘンだよ、日本人」の番組について考えて、外見でお断りに対し「相撲の曙親方や梅宮アンナさんが入浴拒否される滑稽を想像すればいい」(次の日の訂正文も含む)
- 2001年3月3日 道新 夕刊 page 6「外国人差別 日常に存在、国連向け報告書 政府認める」
- 2001年3月7日 英字新聞Japan
Timesの読者の声にて、本州で温泉が断った外国人の憤慨が記載、小樽提訴の支持を表す。(英字)
- 2001年3月5日から3月23日まで 有道 出人は民主党北海道出身鳩山議員の札幌事務所に連絡し、「人種差
別撤廃法制化」についての会合で」を交渉した。ところが、23日、事務所の顧問、奥野氏は断った。なぜなら、本人が多忙中及び提訴中の人と会合すると民主
党は原告の味方に見られてしまうおそれがあるそうです。但し、裁判についてではなく、有権者は自分を代表している議員と相談して法制化について話し合いた
いのである、と私は明らかにした。それでもダメだった。「我が国の憲法で保護されている人権があり、人種差別から守る法律が国際条約でも義務付けなのに、
法制化は政治家の仕事である」と感じた。御返答をいただいていないemailsはここで読めます。
- 2001年3月26日午後1時30分から2時まで 札幌地裁にて第一回口頭弁論 原告らは自分の陳述書を読音する。共同通信関連記事はここです。
- 2001年3月26日午後8時30分から30分 HBCラジオは「ジャパニーズ・オンリー」という番組を放送。(Real Audio
format)
- 2001年3月27日午前1時55分から60分 HBCテレビは「外国人お断り」というドキュメントを放送。
- 2001年3月27日 それぞれの新聞朝刊で口頭弁論について記事が記載。道新、毎日、朝日、読売へのリンク。
- 2001年4月 道新TODAY四月号 page
50-51の「袋たたきにあった、有道 出人の言い分」の中、TBSの2月末「ここがへんだよ、日本人」の番組についても話す。(そして、新聞に出た道新TODAYの広告の中、有道の顔は森総理の隣にある)
- 2001年4月1日 時事ジャーナル, pages
10-15, 「温泉問題解決は日本社会を改善すること」有道 出人インタビュー
- 2001年4月16日 有道 出人は個人として各政党札幌支部を訪問して、一緒企画
の人種差別撤廃法案を民主党衆議院議員中沢健次氏・北海道議会議員伊藤政信氏・北海道議会議鈴木泰行氏、自民党北海道議会議院佐藤時雄氏、公明党北海道本
部副部長青木山氏、日本共産党北海道委員会自治体部副部長板倉武美氏へ提出した。法案はここです。(日本語とEnglish)
で読めます。レポート(英語)はここです。そして、北海道議会事務局議事課主幹根津渉氏によると、我々が昨年4月17日に北海道総務委員会に提出した人種差別撤廃陳情はまだ「総務委員会で検討中」である。前述の民主党幹事長鈴木泰行氏は「去年の提出について何も聞いていません。調べてきます。」と言う。昨年提出した陳情はここです。
- 2001年5月3ー5日 カートハウス、サザランド、有道は連休の間、稚内市と紋別市にある排斥する施設を再び(前回は昨年4月だっ
た)調査しに行く。それぞれの所を訪れたが、入場お断りはなかった。日本語能力は要素であり、有道の顔も結構知られているせいもあるが、進展は少しあった
と言えるだろう。但し、日本人のお風呂より7倍入場料がかかる「外人風呂」を実施している稚内「湯らん銭」、紋別のプリンスホテル子会社の「美人の湯」、
とそれぞれのはまなす通りの排斥看板のある飲食店は看板を下ろす意志は一切示さない。この件はJAPAN TODAY コラム(英語)ミニレポート(和英語)道新・宗谷版の記事
(日本語)と共同通信(日本語)
- 2001年5月5日 DAILY YOMIURI は温泉問題について(フルページ、フルカラー)(英語)
- 2001年5月7日 第二回口頭弁論の結果、被告らの答弁書が札幌地裁へ提出。原稿は温泉湯の花(6ページ) と小樽市(9ページ)
(日本語)
- 2001年5月12日 道新によると渡辺摩美さん(17)は
内閣総理大臣賞第55回全国高等学校言論大会で、差別や偏見のない真の国際化を課題にして、優勝しました。どさんこ初。「共生の21世紀へ」はテーマで、
面白い引用がありました:「現在の日本は、英語が分かりさえすればよいという間違った国際化像にとらわれがち」、そして小樽温泉問題に言及:「彼ら(外国
人)が私たちに何を求めているのかを知り、心を通じ合わせることで『共生の21世紀』が訪れる」など。詳しくはここです(スピーチの原稿も含む)
- 2001年5月2日ー21日 国際連合大学(東京都神宮前)は本年8月、グローバル・セミナー「人権:グローバルな眼・ローカルな眼」、北海道第2回セッションを小樽市で開催する予定だったが、プログラム委員会によると、道庁と道経連の協賛金を学問の自由よりも優先し、原告有道の人権セミナーの招待を撤回する。詳しくはここです。
- 2001年5月25日 札幌法務局人権擁護部でも人権問題について調査したうえ(本年1月31日付)、
人権擁護推進審議会は政府から独立した「人権委員会の創設などの答申を発行した。有道 出人は「いいステップですが、資金及びスタッフで充分機能されるの
は心配。しかも、法廷で戦うサポートは人種差別撤廃法の制定の変わりものにはなりません。」即ち、この委員会を制定すると、人種差別撤廃を法制化しない言
い訳にならないことが関心。それに、答申の中、人種による差別から保護するのは指示されているが、国籍などは一切載っていない。5月26日付、共同通信及
び道新の記事・解説(特にメディア侵害に対しフォーカス・反論が多い)はここです。
- 2001年6月16日 上記の5月2日の通り、道新:「外国人入浴拒否訴訟原告が講義、国連大セミナー中止(小樽)、講師取り消し、委員が反発、辞任」詳しくはここです。
- 2001年6月18日 札幌地裁にて第三回口頭弁論 裁判官は被告湯の花の弁護士に「湯の花は道庁、小樽市から援助金をもらったことがあるかを調べて下さい」。
- 2001年6月19日 「道人権基本条例」を年内に作成するために、民主党北海道は「つくろう人権条例!市民フォーラム」を開催。骨子の原稿、参考書・道新記事などはここです。
有道 出人はパネリストとして発言し、その後、出席したサザランドとは民主党のそれぞれの大事な人と懇談した。ビールを飲みながら、参議院議員竹村泰子
氏、道議会議員佐野法充氏、道議会議院幹事長佐々木隆博氏、道議会議員平出陽子氏、札幌市議会議員小林郁子氏、などとも知り合った。
- 2001年6月23日 原告同僚カートハウス・オラフは、札幌国際連帯研究会(SIIS)主宰フォーラムで「小樽入浴拒否のむこうにあるもの」を約300人の出席者に発言。他のパネリストは
松本祥志 氏(札幌学院大学法学部教授、「入浴拒否事件と国際人権」 )と平泉金弥 氏(札幌国際連帯研究会事務局、「入浴拒否の何が問題なのか?」)松本先生によると、人種差別撤廃条約の書き方によって(States
Parties/締約国)全ての行政機会(自治体も含む)も効果的な保護及び救済措置(法制化も含む)を採る責務があると解釈する。これは被告小樽市の法廷にての主張と違う。
SIISのサイトはwww.infosnow.ne.jp/siis/またはwww.infosnow.ne.jp/siis/schedule.html。札幌タイムズ7月6日付の関連記事はここです。
- 2001年6月30日 有道 出人は福岡「Love
FM」ラジオス・テーションで温泉問題について電話で和英インタビュー。ここをクリックするとReal
Playerなど (無料ダウンロード)で11分間のインタビューを聞けます。
- 2001年7月3日 小樽の温泉問題が引用された。南幌町の
小野 満俊氏の著書「テッペン・カケタカ」(ちくじん版)の中、「21世紀という時代を見据えて」というプロローグで有道 出人のことと「海外から見た日
本企業の本質」について。本のジャケット(タイトル、出版者、ISBN、値段、内容の概略が紹介されています)とプロローグの1と2ページはここです。後はどうぞ書店にてお手にとって下さい。
- 2001年7月6日 「民主党さっぽろ」第206号に、6月19日の民主党北海
道人権条例フォーラム、「つくろう人権条例、市民フォーラム」のレポートを載せる。各パネリスト(北海道ヘモフィリア友の会副会長の青木一良氏、北海道ウ
タリ協会札幌市部事務局次長の多原良子氏、北海道セクシャルマイノリテイ協会札幌ミーテイング事務局長の鈴木ケン氏、北星学園大学助教授の岩本一郎氏、と
有道 出人)の発言概要と民主党の姿勢はここです。
- 2001年7月8日 有道 出人は札幌立命館慶祥高校にて「差別とは何だろう?国際化とは何だろう?」というシンポを行い、高校生と一緒に日本の将来について考える。
- 2001年7月13日 共同通信「子供が差別されない社会を 外国人入浴拒否に反発」将来、差別の政治化するのにどう思うのか、などについて有道 出人とのインタビュー。京都新聞などが使ったようです。
- 2001年8月 2001年6月16日の道新で、「外国人入浴拒否訴訟原告が講義、国
連大セミナー中止(小樽)、講師取り消し、委員が反発、辞任」が報道された。セミナーの委員長、小樽商科大の相内先生によると、道庁と道経連の融資的圧力
により、国連大は私の講義招待をキャンセルした。結果は、学問の自由の危機が伴うと分かり、委員会のメンバーが反発して過半数が辞任。これは道新
TODAY8月号でも報道された。page one and page
two.
- 2001年8月25日 部落解放同盟 第45回全国青年集会(群馬県水上町、2001年8月25日ー27日)の流れと記念講演ゲスト・スピーカー有道 出人は部落解放新聞でレポートを出した(2001年9月1日版) 部落解放新聞(埼玉)もレポートを(2001年9月10日版)
- 2001年8月27日 第四回口頭弁論、札幌地裁にて
- 2001年10月22日 第五回口頭弁論、札幌地裁にて
- 2001年12月26日 小樽市役所記者クラブにて記者会見:「『浜松宣言』は小樽市の外国人に対して改善の事例」。小樽市は裁判所で「できる限りをやった」と主張したが、同じ排斥問題を悩んだ浜松市はもっと前向きな姿勢を示して解決した。なぜ小樽市もできないのか、と有道 出人。記者会見と浜松宣言関連記事はここです。
2002年度
- 2002年1月12日 共同通信:外国人排斥温泉支配人、元外国人との友人関係 地方新聞約40紙に記載されたが、道内新聞はなし。熊本日日新聞は2002年1月21日夕刊にページの3分の2を割いて大越氏と有道 出人の裸の付合いをカラー写真付で。ここでご覧下さい。
- 2002年2月2日 道新・小樽版(後志版のみ)特集:「外国人入浴拒否 提訴から1年、隣人との溝なお」
温泉「湯の花」支配人 小林 勝幸氏 の尋問 全文(日本語と英訳テキスト)
湯の花尋問のハイライト:
- 小樽市の支援が「不十分」(21ページ)
- 小樽市が人種差別撤廃条令を制定するのに「ある意味では積極的に賛成」(22ページ)
小樽市国際交流担当 竹内一穂氏 の尋問 全文(日本語と英訳テキスト)
小樽市尋問のハイライト:
- 1993年から、市はこの外国人排斥行為は「人種差別」であると認識した(20ページ)
- 市が被害者からもらった改善要請の解答書として、「外国人から病気がうつる」風評に対し、温泉側の非常手段であり、「恐らく言葉で長い説明の手間をさけるために」と説明した(21ー22ページ)
- 小樽市は法務局と相談し、「現行の法制上、そういう強制力を持たない段階で、自治体がその条約を受けて、どういうところまでできるのか、どういうところまでやらなければいけないか」を調べた(25ー6ページ)
- 憲法14条の他、外務省によると人種差別撤廃条約は国内法としての効力を持ち、法律がない場合に自治体は条例が必要なら作れるものの(28ページ)、市は人種差別撤廃条例作成は「難しいだろう」と結論を出した(26ページ)
- 小樽市民と外国人に関わる問題であるものの、市は一度も市民と相談するフォーラムを開催せず、一切外国人と相談しなかった。(34ページ)かえって審議する連絡会議に外国人の出席を断った(5ページ)
- 北海道教育大学教育学部札幌校社会学研究室発行の調査の結果、市が「積極的に呼びかけをしているように思えない・・・何か具体的な対応策を考えている様子はみられなかった」の分析に対して、市はノーコメント(35ー6ページ)
- 2002年4月18日: 温泉オスパ「フォーラム」北海道新聞4月19日朝刊:「外国人と混浴はどう? 米国出身の有道さん 入浴拒否された施設で討論会」(Japan
Times 英字記事も含む)
- 2002年5月14日:第一回和解協議(報告)。坂井裁判長は判決が「難しい」と言い、原告被告双方は裁判長が求めた協議に出席した。
- 2002年6月9日: The Observer
(UK) 新聞は日露関係とW杯の間の札幌市すすきの排斥看板について報道、小樽温泉訴訟にも言及。
(英字)
- 2002年6月11日:第ニ回和解協議(報告)。坂井裁判長が書いた和解案は「外国人」に謝罪などを求めるが、一人の原告が日本人だとの前提がなく、人種差別がこの訴訟の基本だが忘れられた様。原告も被告もこの和解案に賛成できず、2002年秋に判決するしかないようになった。
- 2002年8月19日:最終口頭弁論。判決は2002年11月11日(月)、午後1時10分より、と発表された。
- 2002年11月7日 「我是一個很会葱事的人ーー記日籍美國人有道初人」中文導報(在日中国人の新聞) 5ページ(中国語)
- 2002年11月:11月11日付の判決の前の最終準備とし、
外国人排斥小樽温泉訴訟
最終の準備書面・国連勧告書・その他の参考資料
(2002年11月8日 公開)
- 原告 カートハウス・サザランド・有道の最終準備書面(2002年8月9日付)(11ページ)
(抜粋)「よって、被告会社は原告らに対し、民法90条・同709条・同710条に基づき、損害賠償責任を負う。
結論 よって、被告市は原告ら各人に対し、人種差別撤廃条約第2条1項 d ・同第6条・民法710条に基づき、精神的損害に対する慰謝料・・・を支払う義務がある。」
「小樽外国人入浴拒否事件」(2ページ)
(札幌弁護士会 会報 2002年9月号 掲載)
(抜粋)「自治体は、姉妹都市提携とか教員を外国に表敬訪問させることに多くの税金を費やす一方で、人種差別をなくす措置には「予算がない」とアッサリ撥
ね除けている。こうした『国際化』の中の人権無視実態に対して、人種差別をテコとして司法判断を仰ぐことも面白いと思った。」
- 被告温泉「湯の花」の最終準備書面(2002年8月8日付)(2ページ)
(抜粋)「以上の各事実に照らせば、原告らが株式会社アースキュアによる入浴拒否により何ら精神的打撃を受けたとは考えられないから、原告らの損害を認定することができず、その慰謝料請求には理由がない。」
- 被告小樽市の最終準備書面(2002年8月14日付)(5ページ)
(抜粋)「締約国が人種差別を非難するとともに人種差別撤廃に向けて有効な政策を行うべきことを国の基本的責務として宣言したものにすぎず、特
定の具体的な義務を定めたことではない。また同条1項(d)も、私人間における人種差別を終了させるため、締約国が立法を含めたすべての適当な方法により
これを行うものとして、締約国の一般的・基本的責務を謳っているものにすぎない。その具体的方策は立法措置も含めて締約国の選択に委ねられているのであ
る。」
- (ちなみに、国連の人種差別撤廃条約全文はここです。)
国連の勧告書
(2001年3月20日発行)
人種差別撤廃委員会最終見解:日本
(「自由と正義」誌 日本弁護士連合会出版 2001年6月号掲載)
(抜粋)「9)委員会は、憲法98条が締約国が批准した条約は国内法の一部をもなすことを規定しているにもかかわらず、あらゆる形態の人種差別
の撤廃に関する国際条約の規定が、国内裁判所によってほとんど援用されていないことについて、懸念を持って留意する。条約の規定が直接適用されるかどう
か、個々の具体的事案において、当該規定の目的、意味および文言を考慮して判断されるとする締約国からの事情に鑑みて、委員会は本条約およびその規定の国
内法における地位に関する締約国から明確な情報を求める。
10)委員会は、本条約に関連する締約国の法律の唯一の規定が憲法第14条のみであることに懸念を有する。本条約が自動執行力を有しないという事実を考
慮し、委員会は、とくに本条約4条および5条の規定に従い、人種差別を禁止するための特別な法律を制定することが必要であると信ずる。」(勧告書全文はここです)
日本と外国の新聞の報道はここです。
(朝日新聞:判決要旨、全国の社説 など)
(北海道新聞:社説、判決骨子 など)
(毎日新聞:判決要旨 など)
(読売新聞:解説 など)
- 2002年11月20日ー22日 2つの控訴が申し立てられた:小樽市のみを相手取る原告有道出人の訴訟と原告らを相手取る被告温泉「湯の花」の訴訟。「湯の花」は「強制執行停止」を申し立て、次の判決まで賠償の不払いが認められた。
- 2002年12月25日 解放新聞埼玉 第673号 2002年12月15日 4ページ 有道 出人インタビュー「人種差別に有罪判決」と社説
2003年度
「ジャパニーズ・オンリー」
小樽温泉入浴拒否問題と人種差別
単行本(有道 出人 著)日本語です。
キャプション(予定)
「アジア人お断り」。もし海外でこの看板を目にしたら、どう思いますか?
「外国人お断り」という看板を掲げた小樽市内の入浴施設が、一律に、外国人のような外見の人の入浴を拒否した。これは人種差別ではないのか?ある外国人
らはそう抗議を始め、この問題が世界的に知り渡った。そして永年、市をはじめとする行政がこうした状態を放置したため、入浴施設と小樽市を提訴し、現在は
継続中。この問題の発端から現在までを原告一人、有道出人が書いた本書は日本に鋭く問いかけるーー日本の真の国際化とは何か?日本における人権とは何か?
絶賛発売中!
値段は2500円(本体価格)です。
ご注文などの問い合わせは:
(株)明石書店 営業部
電話:03-5818 -1171
ファクス:03-5818-1174
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値段は2500円(税込み)です。
ISBN: 4-7503-9011-9
全国各地販売店、書評などは
http://www.debito.org/japaneseonly.html
- 2003年1月7日 小樽市のみを相手取る原告有道出人の控訴は「小樽市人種差別訴訟弁護団」を設立した。サポーター募集中。
- 2003年1月24日 有道 出人 著「立法府よ、人種差別禁止法を!」民主党さっぽろ(新聞)第281号、2ページ
- 2003年2月 部落解放 513号:「有道 出人 インタビュー 『日本にも差別禁止法が必要 外国人入浴拒否、小樽温泉訴訟判決に思う』」pp
64-70
- 日本語ジャーナル2003年2月号:「外国人に対する入浴拒否は差別」
- 2003年2月5日 国内差別「経験団」サイト成立(控訴のために差別の経験がおありでしたらお教え下さい)
- 2003年3月5日 小樽市を相手取る控訴理由記録を提出した。札幌弁護士会にて記者会見で配布した提出した理由書(全テキスト)と弁護団について参考資料をご覧下さい。
- 2003年3月15日「ジャパニーズ・オンリー 小樽訴訟で争われたこと」(龍谷大学教授田中宏氏と共演)、「増え続ける人種差別訴訟ーー何が問われるのか」のテーマで社団法人自由人権協会(JCLU)主催の例会、東京都愛宕。(チラシはここです)
- 2003年4月10日 単行本「ジャパニーズ・オンリー 小樽温泉入浴拒否問題と人種差別」(明石書店、原告 有道 出人 著)が発売。詳しくはここです。
- 2003年4月30日 小樽市議会議長 松田日出男氏から通知書。2000年1月13日に提出した「人種差別撤廃のための条例制定方について」の陳情書は3年間以上「継続審査」のままで却下された。「本議会議員の改選されることにより、4月30日をもって審議未了となりました」と。通知書の原文はここです。「さらに審議を希望される場合は、新たにご提出をいただくことになります」。2004年冬期に再提出する予定。
- 2003年6月2日 朝日新聞「私の視点」コラム 2003年6月2日(朝刊、pg14)有道 出人著 (jpg)「『外国人お断り』人種差別r撤廃へ法整備を」(SARSによるホテルの恐怖感と一般的に一律外国人客お断りの方針をとる公共施設について)
- 2003年6月3日 2つの控訴の第1回控訴期日は詳しくはここです(原告カートハウス オラフ はサイトのコーディネーター)第1回期日開催報告はここです。
- 2003年6月中旬 共同通信:「国際化の現実を受け入れて」入浴拒否され係争中 有道 出人 日本社会のおかしさ(信濃毎日新聞2003年6月13日夕刊)(この共同通信の記事は信濃毎日新聞、福島民友、岐阜新聞、東奥日報、中國新聞、日本海新聞、山形新聞、などに記載されました)(jpg)
- 2003年8月9日 有道 出人は Active Women's Network(行動する女性のネットワ−ク AWN)
主宰のジェンダ−研修会 <ジェンダ−と人権> の基調講演:「国内差別の緩和:性差別、人種差別正当化のプロセス」「日本では
『合理的差別』という概念がある。前提は『社会的にある程度の差別が仕方がない』となり、法的にも抜け穴が設けられる。小樽温泉人種差別訴訟では、02年11月に下された判決は『合理的差別』に基づき、人種差別が違法行為であると指定せぬ。この危うい現象とあやゆる形態の差別撤廃の障害についても話す。」
(苫小牧市女性センタ−にて)
■ パネリスト
松本 祥志 氏 (札幌学院大学法学部教授)
笹谷 幸弘 氏 (札幌学院大学大学院法学部卒・小樽市在住)
カートハウス オラフ氏 (千歳科学技術大学助教授・小樽市入浴拒否裁判原告)
■ コーディネーター 有道 出人
- 2003年9月4日 第2回控訴期日 札幌高裁に提出した陳述書と意見書のテキストはここです。(なぜ小樽市を相手取る控訴をしたか、有道 出人著陳述書全文、提出した証拠書類、意見書など)
- 2003年9月8日 紋別市内の再び外国人お断りの施設が増える。第三セクター入浴施設「湯けむり紋別とっかりの湯」は本年8月末から外国人お断り(というよりも、「外国船乗組員お断り」)にした。北海道新聞と毎日新聞で記事が記載。記事に乗っていないが、紋別市内の記者によると、2000年から引き続き現在でも、紋別のプリンスホテルの後ろの入浴施設「紋別温泉」とはまなす商店街の数々の飲食店はまだ「日本人専用店」の看板または方針を実施中。
- 2003年11月6日 第3回控訴期日の報告(弁護士 東澤 靖 著)はここです。
- 2003年11月15日 紋別市にて北海道紋別市未だに「日本人専用店」看板は掲示されていると分かった。カートハウスと有道 出人は排斥施設を訪問のレポート(写真付き)はここです。
訴訟は控訴が2つです:私が起した小樽市を相手取る控訴、かつ、温泉湯の花が起した原告3人を相手取る訴訟です。基本的にこの二つは別々のことを
取上げている(前方は地方自治体の差別撤廃責務を問う、後方は一審の賠償命令がやりすぎでは、を問う)ので、前回「分離申し立て」(つまりこの訴訟を2つ
に分けて下さい、という要求)を申し入れました。意外だったが、きょう高裁は分離を認めました。その時点で、湯の花の弁護士と原告3人の弁護士伊東秀子先
生は退室して、多分これから書面上の議論は終わりではないかと思います。次回の期日は小樽市と私の弁護団のみで、尋問が行われます。意見書を出して下さっ
た成城大学法学部の棟居(むねすえ)教授が法廷にいらっしゃい、尋問と反対尋問になります。すなわち、これは非常に有望な出来事だと思います。裁判官は国
際法と国際条約関係にとって玄人の意見を聞きたいというわけです。判決(年内になるのではないかなあ)は湯の花と小樽市を一緒にする予定ですが、もっと市
の責任を調べて検討することは断じて悪くないと思います。有道 出人
小樽市人種差別弁護団ニュース
−判決言渡期日が2004年9月16日に決定−
芝池弁護士 <shibaike@hg-law.jp> 著(小樽市人種差別訴訟弁護団呼び掛け人)
http://www.debito.org/bengodan.html
札幌高等裁判所第3民事部に係属しています小樽市人種差別訴訟についてご
報告します。
2004年3月16日
棟居快行教授(北海道大学大学院法学研究科・憲法)の証人尋問が行われまし
た。棟居教授には、人種差別撤廃条約の国内法上の地位・効力や地方自治体の
作為義務の具体的内容、人種差別禁止条例制定義務違反の違法性などについて
明快かつ大変説得的な証言をしていただくことができました。
2004年5月13日
棟居快行教授の証人尋問の結果を踏まえた最終準備書面を提出しました。
そして、有道出人さんから意見陳述が行われました。その陳述書を同封します
のでぜひご覧下さい。
http://www.debito.org/highcourthearing6update.html
2004年6月24日
有道出人さんの小樽市に対する控訴事件と、湯ノ花の有道さんその他の1審原
告に対する控訴事件の弁論が併合され、口頭弁論が結審しました。
判決の言い渡しは2004年9月16日午後1時10分に指定されました。
記者会見は当日1時45分の予定です。
控訴を提起した2002年11月19日から早1年7か月余りが経過しまし
た。この間、弁護団では、事実の主張・立証を充実させるとともに、一審では
必ずしも十分ではなかった人種差別撤廃条約の解釈をめぐる法的主張を積極的
に展開することができました。あとは裁判所の画期的な判決を期待するのみで
す。
これまでご指導・ご協力をいただきました皆様に心よりお礼申し上げますとと
もに、画期的な判決をかちとるために、なお一層のご支援を賜りますようお願
いいたします。以上
2004年9月16日高裁判決
被告小樽市に相手取る控訴棄却 最高裁へ上告決定
被告温泉湯の花が原告3人を相手取る控訴棄却
各原告に100万円賠償命令はそのまま。これで終わりです。
札幌高裁判決文はここです。
原告有道 出人の感想文はここです。
関連記事
Japan Times/Kyodo,
Mainichi
Daily, AP/Yahoo
News, 道新前日・当日・社説、毎日前日・当日、朝日・読売・産経 等,
and a BBC World Service Radio broadcast Sept 19, 2004,
dowloadable as mp3 file (3 minutes
25 seconds)
2005年4月8日
被告の小樽市、勝訴確定 入浴拒否訴訟上告棄却
札幌高裁判決文はここです。
次のステップは国連の人種差別撤廃委員会で挙げることです。(いままでそ うしなかった理由は、国連の指令で国内の司法制度を徹底的に通さないといけ
ないのです)。そして、ほぼ10年間前に国連人種差別撤廃条約を発行して法 制化などを公約した日本国を不作為の根拠で相手取る訴訟を年内に起こしたい
と思います。
(http://www.debito.org/kunibengodan.html)
これで、小樽入浴拒否施設を相手取った訴訟が終わりです。
皆様、長い間、お疲れさまでございました!
(2005月4月20日現在)
コメントまたは問い合わせなら 原告 有道 出人までどうぞ